悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

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カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃⑦

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アニメ『GODZILLA』三部作 #2

かつてないスケールの世界観が用意されたアニメ『GODZILLA』三部作は、ゴジラのデザインもこれまでとは一線を画していた。その出発点には、「生命進化の頂点」という虚淵が提示したコンセプトがあり、瀬下監督はそれをもとにスケッチ画を作成している。

 

「生命進化の頂点」に君臨するものとは何か? 瀬下は、地球上において最も巨大で長寿命である「樹木」こそが本作のゴジラのモチーフに相応しい、と結論。ここから、巨木のイメージを投影した新しいゴジラ像の模索が始まる。あくまでゴジラらしいシルエットを維持しつつ、金剛力士像の筋骨隆々さを取り入れるなどしながら、神性をまとったデザインの骨子が形作られていった。

 

この瀬下によるスケッチをもとに、造形監督の片塰満則が指示を出し、笹間豊がマケット・スカルプティングによってCGモデルの土台を作成。コンセプトアート担当の川田英治が彩色や質感など、最終的なディティールを調整している。

 

こうして完成した体高300mというシリーズ屈指の巨躯を誇るゴジラだが、アニメ『GODZILLA』三部作はその巨神を使った破壊や敵怪獣との戦いを描くことに重きを置いていない。前回述べたように、本作はあくまで主人公ハルオの内面的葛藤の物語だからだ。三部作を通して、最も重要なのはゴジラ自体の描写ではなく、ハルオが苦悩の末に、人類が成すべきことについてある結論に達するという心理的描写だった。

 

それ故に、本作は“特撮”としてのゴジラを期待し、実写シリーズと同様のスタンスで臨んだ観客の間に、賛否両論を巻き起こした。否の意見の中には、拒絶とも受け取れる辛辣なものも少なくなかった。もちろん他のゴジラ作品のおいても、常に批判者は一定数いるわけだが、例えば『シン・ゴジラ』の公開時と比較すると、アニメ『GODZILLA』三部作に対して攻撃的な批評が多かった感は否めない。

 

なぜこうした反応を引き起こしたのか。その要因として、先に挙げたゴジラ描写が主眼でなかったことの他に、制作時の「間口の広げ方」という点も指摘しておきたい。

 

GODZILLA 怪獣惑星』のパンフレットに掲載されている静野、瀬下の両監督と虚淵が一堂に会した鼎談では、何度か「間口を広げる」という発言が出てくる。彼らによれば、3人が集まって話をした際、元々怪獣映画を愛好していた瀬下と虚淵の2人がファン目線でアイデアを膨らませようとしたとき、全くゴジラ・シリーズに触れたことのない静野が置いてけぼりになるようであれば、そのアイデアを却下する──そんなことが度々あったようだ。そうやって映画の「間口を広げていった」と。このエピソードからは、静野監督が持つ客観的な視点のジャッジによって、怪獣映画好きが内輪的に盛り上がる要素をできる限りなくしていき、より幅広い観客の鑑賞に耐えうる作品を目指していたことがうかがえる。

 

それはたしかに、現実とかけ離れた映画内世界に一定のリアリティを確保し、全体のトーンを統一するためには必要なプロセスだったと言えるだろう。硬派なSFを目指していながら、過去のゴジラ・シリーズで目にしたような突飛な宇宙人や人物を登場させるのは、素人目から見ても明らかに矛盾している。

 

ただ、それは同時に、怪獣映画ファンがアガる要素を摘み取っていく作業とも言えるのではないか。今までのゴジラ・シリーズを特徴づけていた歪さを、減じていくことになったのではないか。有り体に言えば、ゴジラ映画としての魅力を薄めていくプロセスでもあったのではないか。

 

そう考えると、一部のファンから拒絶反応が起きたことも自明のように思える。そんなアニメ『GODZILLA』三部作の制作スタンスの良し悪しを、ここで結論づけるつもりは毛頭ない。重要なのは、そういったリスクを冒してでも、東宝がこれまでにないゴジラ映画を世間に提示して、新しいファン層を開拓しようとした事実である。

 

ゴジラははたして、どれほどのポテンシャルを秘めたキャラクターなのか。今後、どんなフィールドや方向性で作品を展開していけるのか。近年の動向を見るにつけ、東宝はそうしたゴジラの可能性を模索しているように思えるが、王道の特撮路線をいった『シン・ゴジラ』に対して、アニメ『GODZILLA』三部作はゴジラというタレントの新天地を切り開くための嚆矢だったのかもしれない。

 

60年以上のキャリアを持つ大ベテラン怪獣は、今なお自身のポテンシャルに対して挑戦を続けているのである。

 

[参考文献・参照サイト]

劇場用パンフレット

 

Gigazine

「GODZILLA 星を喰う者」虚淵玄・静野孔文・瀬下寛之鼎談インタビュー、あのラストはどのように生み出されたのか?

 

アニメ!アニメ!

「GODZILLA 怪獣惑星」は国道246号線沿いで起きていた? 瀬下監督が挑んだ国産3DCGアニメの集大成とは

 

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃⑥

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アニメ『GODZILLA』三部作 #1

『シン・ゴジラ』の制作と並行して、別のプロジェクトが秘密裏に進められていた。後に『GODZILLA 怪獣惑星』『GODZILLA 決戦機動増殖都市』『GODZILLA 星を喰う者』から成る三部作として2017年から2018年にかけて公開された、ゴジラ・シリーズ初の劇場用アニメーション作品である。

 

本企画は「怪獣プロレスにはしない」「怪獣バトル主体にはしない」という東宝の方針の下でスタートした。その意図を噛み砕いて解釈するならば、怪獣同士の戦いが最大の見せ場ではないゴジラ映画を作る、ということになるだろう。あるいは、それまでの実写シリーズとは全く違った切り口のゴジラ映画を東宝側が求めていた、とも受け取れる。

 

このプロジェクトの船頭を任されたのは、虚淵玄(ストーリー・原案)、静野孔文(監督)、瀬下寛之(監督)という3名のクリエイター達だった。日本特撮の象徴として君臨してきた絶対的アイコンをアニメという手法で、しかも世界観を一新して作り直す。それがいかに困難で、リスクが伴う創造であるか、3人は当初から十分に理解していた。実際最初にオファーを受けた際、彼らは揃って難色を示している。ただ、アニメ版に先行して庵野秀明が監督を手掛ける実写版(『シン・ゴジラ』)が公開されると知ったことで、各々がゴジラのアニメ化に可能性を見い出すようになる。

 

以下はオファーを快諾するに至った理由を説明する、 虚淵の言葉だ。

 

シン・ゴジラ』は絶対に、特撮として王道のゴジラを復活させるものになるだろう、と。であるならば、アニメの「GODZILLA」は「未来のために新しい可能性を開拓する企画」として考えることができるので、そこでこの企画を引き受ける意義を見つけることができたのです。
特撮とアニメの違いはどこにあるのか。特撮がもっとも効力を発揮するシチュエーションは、「現実の風景の中に非現実的なものが入り込んだ状況」です。まさに『シン・ゴジラ』(2016)はそういう特撮の最前線にある作品として作られていました。ではかつてサイエンス・フィクションの名のもとに「ゴジラ」シリーズの中で描かれていた、荒唐無稽と言ってもいいほどのスケール感や、宇宙人の存在といった要素はどうすればいいのか。僕はその部分を、アニメの「GODZILLA」が引き受けるべきだと考えたのです。
(『GODZILLA 怪獣惑星』劇場用パンフレットより) 

 

我々が暮らす日常に現れたゴジラを描くという点において、アニメは特撮に対して分が悪いが、よりSF的でフィクション度の高い世界におけるゴジラを描くのであれば、アニメに勝算がある。そう判断した虚淵が作り出したストーリーの原案は、シリーズ中最も壮大で非日常的な物語だった。

 

20世紀末より始まった怪獣の襲撃、そして2030年に出現したゴジラのとてつもない破壊によって文明社会を蹂躙された人類は、2048年、地球での生存を断念し、宇宙へと逃避。20年間の航行の末に帰郷するが、地球では2万年もの時間が経過しており、もはや彼らが知っている母星の姿はそこにはなかった。しかも、彼らを絶望の淵へとたたき落としたゴジラは絶命しておらず、今もなお、この世界の絶対的頂点であった。再び宇宙へ逃げ戻るか、それとも地上へ下りるのか。人類は選択を迫られる…。

 

この導入部の説明だけでも、本三部作があまりにも巨大なスケールを誇り、過去作のどれよりも陰鬱なストーリーであることが伝わるだろう。その前日譚を描く小説『GODZILLA 怪獣黙示録』『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』についても、「怪獣と人類が全面戦争になったらどうなるのだろう…?」「ゴジラがいよいよ人類を滅亡させるに至るとしたら…?」といったファンの妄想をそのまま描き出したかのような、あるいは『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)を悪夢と恐怖でブーストしたような、救いのない内容だった。

 

さらに驚くべきは、人類がゴジラによって宇宙へ追いやられる以前に、ビルサルド、エクシフという母星を失った異星人が地球に現れ、ゴジラ抹殺のために協力関係を築いている点だ。地球人を遥かに凌駕する科学力と知能を誇る彼ら異星人の援助があってもなお、人類はゴジラを倒すことができず、3種族はそのまま宇宙航行をともにすることになった。

 

こうしたSF色が濃厚なストーリーが異色であるアニメ『GODZILLA』三部作を、私は主人公の名前をとって“ハルオ三部作”と勝手に呼んでいる。というのも、本作はSF的設定が云々ということ以上に、ハルオ・サカキという人物の内面を描くための物語であった点が、最も重要でユニークであるからだ。一人の人間の精神的変遷や葛藤をこれだけ丹念に描いたゴジラ作品は、後にも先にもこの『GODZILLA』三部作だけである。

 

体高300mという史上最も巨大な本作のゴジラは、絵的にも物語的にも存在感がある。しかし実際のところ、その存在を描くこと自体はこの映画の主眼ではない。それよりも本作が重きを置いているのは、ゴジラとの戦いを通して思い悩む主人公ハルオの姿を、外的にも内的にも映し出すことである。瀬下監督の言葉を借りるならば、『GODZILLA』三部作はどこまでも「ストーリー・オブ・ハルオ」であり、ゴジラはある意味、彼の“背景”に徹しているといっても良い。

 

そうして本作は、ゴジラに対峙した人間の葛藤をスクリーンに活写することで、最終的に怪獣とは何なのか?、怪獣は人類にとって一体どんな存在なのか?という観念的問いを観客に投げかけてくる。つまり『GODZILLA』三部作は、怪獣そのものの描写ではなく、怪獣によって追いつめられた人間側のドラマを通して、その存在意味を観客に考えさせる怪獣哲学映画とでも呼ぶべきものであった。

 

↓続きはこちら

yuta-drago.hatenablog.com

 

[参考文献・参照サイト]

劇場用パンフレット

 

Gigazine

「GODZILLA 星を喰う者」虚淵玄・静野孔文・瀬下寛之鼎談インタビュー、あのラストはどのように生み出されたのか?

 

アニメ!アニメ!

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怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃⑤

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ゴジラ戦略会議(通称ゴジコン) 

ゴジラ映画が息を吹き返した2014年以降、東宝では同社が世界に誇るムービー・モンスターの価値を継続的に強化していこうとする動きが活発化する。その中心となったのが、レジェンダリーの『GODZILLA ゴジラ』の世界的成功を受けて発足した“ゴジラ戦略会議(通称ゴジコン)”だ。

 

その目的は、劇場作品に限らず、多角的な視点でゴジラというキャラクターを幅広い世代に向けて売り込んでいく機会を作り出すこと。本丸である長編映画の合間に、様々なイベントやグッズ、コラボレーションなどを打ち出し、より多くの人々がゴジラに触れ続けられる機会を創出していくことだった。

 

例えば、2015年新宿コマ劇場跡地に建設されたTOHOシネマズ新宿を含む商業施設・新宿東宝ビルには、8階部分に“ゴジラヘッド”と呼ばれるゴジラの頭部を再現した巨大オブジェを設置。歌舞伎町の新たなランドマークとして、ゴジラの顔が機能することとなった。

 

他にも、初代『ゴジラ』公開日である11月3日にその生誕を祝う“ゴジラ・フェス”の開催、初の東宝公式専門ショップ“ゴジラ・ストア”の開店、USJ4-Dアトラクション“ゴジラエヴァンゲリオン・ザ・リアル 4-D”、児童向けに開発された新キャラ”ちびゴジラ”…等々、実例は枚挙に暇がない。

 

それらゴジコンが実現した数々の企画の中でも、個人的に思い出深いのが2019年3月に実施された“第1回ゴジラ検定”である。

www.kentei-uketsuke.com


検定では初代『ゴジラ』や空前のヒットとなった『シン・ゴジラ』はもちろん、歴代のゴジラ作品から名シーン、個性的なキャラクター達のプロフィールさらには東宝カニックに関することまでゴジラファンなら知っておきたい様々な問題を出題します。

 

ゴジラについて一定のレベルの知識を有していることを、公式に認定してもらうことができる画期的な検定だった。

 

当時私は東京会場(高輪にある東海大学のキャンパス)にて中級の試験を受験。教室にはしっかりとスーツを着用した試験管がおり、大学入試さながらに不正等がないか厳重にチェック。受験する側もいたって真剣で、試験開始ギリギリまでテキストを読みこんでいた人が少なくなかったように記憶している。

 

そんな厳正な状況の中、まるで人生の岐路に立たせれたような緊張感が漂う中(大げさに言っています)、試験開始がアナウンスされ、問題用紙を開いた。

「Q1. 『ゴジラ』(1984)に登場するショッキラスは、ゴジラに寄生していた生物が放射能により突然変異したという設定だが、その生物とは次のうちどれか。」

 

人生の岐路に、ショッキラスが立っていた。このシュールな体験は、おそらく一生忘れないであろう。

 

受験後Twitterをのぞくと、問題の解釈を巡る議論が起こっていたりして、「お前ら、真面目か!」と思わず叫びそうになった。そんな熱くて真剣なゴジラファンの皆さんが、私は大好きである。そして、受験料・テキスト代・当日の交通費・グッズ代、すべて込みで“ゴジラ検定”に2万ほど貢いだ自分のこともほめてあげたい。

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参考:第1回ゴジラ検定中級の問題用紙と合格認定書

 

また、これはゴジコン案件なのかどうかわからないが、2018年から2019年にかけてゴジラをテーマにしたオーディションも開催された。東宝とAlphaBoat合同会社が共同で主宰した“GEMSTONEクリエイターズオーディション”は、「YouTubeSNS を活用した人材発掘・オーディションプロジェクト」を謳った企画で、その第1回目のテーマが「ゴジラの世界観にインスパイアされたオリジナル作品<映像(アニメ・実写・CG)・音楽・イラスト>」だったのだ。

 

この企画は運営面の不手際が非難されるなど、やや後味の悪い印象が否めないものとなったが、それでも確かな成果を残している。ゴジラの公式YouTubeチャンネルで配信されている怪獣人形劇『ゴジばん』は、“GEMSTONE”がきっかけとなり制作されたコンテンツのひとつだ。同シリーズで最も人気の高い回である「シン・オジ - 親戚のオジさんゴジラ」の巻は、2021年4月上旬時点で再生数217万回を突破。映画館の外においてゴジラの価値を高めるという点で、成功例とひとつだと言える。

www.youtube.com


こういった多種多様な形でゴジラのキャラクターとしての存在感を強めていこうとする東宝の動きが、2010年代後半の快進撃をブーストしたことは想像に難くない。映画製作の現場とはまた違った場所で、ゴジラを支えていこうと奮闘する人々の熱意がそこには溢れていた。

 

続きはこちら↓

yuta-drago.hatenablog.com

 


<参考サイト>

BANGER!!!
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公開記念!東宝の秘密組織<ゴジコン>のナゾに科楽特奏隊が迫る!


NIKKEI STYLE
東宝の命運握る「ゴジラ戦略会議」 映画以外にも展開


はたラボーパソナキャリア働くコト研究所ー
「Gからはじまるブランドと全部コラボしよう」 東宝「ゴジラ戦略会議」の知られざる試行錯誤

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃④

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シン・ゴジラ』#2

3月22日、NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「庵野秀明スペシャル」が放送された。自身の命よりも作品を優先する仕事観、無尽蔵なこだわり、妥協を許さないストイックさ。その内容は多くの視聴者に衝撃を与え、SNSでも大きな話題となっていた。

 

番組は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の製作背景に迫ったものだったが、ここで庵野が見せた作品に対する向き合い方は、『シン・ゴジラ』においても同じであっただろう。レイアウトの凝り方が尋常ではなく、「画面全体を1ピクセル上げてくれ」のような細かな要求は珍しくなかった──CGを手掛けた白組プロデューサーの井上浩正が『別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.4』で語っているこのエピソードなどがその証左だ。

 

こういった度が過ぎる庵野のこだわりが、時に反感や混乱を現場に引き起こしていたことが、『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』といったメイキング本等に記録されている。大げさに言えば、彼はゴジラが日本を蹂躙するがごとく、現場の秩序や平穏を乱していった。スタッフにとって、庵野は怪獣であり、理解し難い存在だった。

 

それは本人も自覚的であり、作業がルーティーンになることを防ぎ、それぞれのクリエイティビティを最大限に引き出すため、あえて嫌われ役を演じた面もあったようだ。そして、常に緊張感が漂う現場において庵野とスタッフ達の間を何とかつなぎとめていたのが、樋口だった。彼が緩衝剤となり、『シン・ゴジラ』の現場はギリギリのところで崩壊するのを免れていた。それもまた、何かが掛け違えば一瞬で崩れ落ちてしまいそうな、絶妙なバランスで成り立っている同作のゴジラの危うさと重なるところである。

 

スタッフ、キャストにとって『シン・ゴジラ』を作るというのは、終わりの見えない庵野の創造の旅に、必至で食らいついていく日々だったに違いない。そう考えると、彼らにとって本作の完成というのは、庵野という大怪獣に勝利した瞬間だったのかもしれない。

 

公開された映画は日本において、2014年の『GODZILLA ゴジラ』を凌ぐ驚異的な熱狂を巻き起こした。観客動員数は550万人を突破。これはシリーズ歴代5位の大記録である。

 

邦画シーンのど真ん中に、我らが怪獣王が鎮座した。こんな光景が見られるとは、少なくとも私は全く予想していなかった。これほどまで日本中がゴジラという存在に注目したことは、久しくなかったのだ。

 

その後、レジェンダリーのゴジラがシリーズ化したこともあってか、実写の国産ゴジラは作られていない。当然、東宝は『シン・ゴジラ』の次を考えているだろうし、秘密裏に進行している企画があっても何の不思議はない。

 

いずれにせよ、次にくる日本の実写ゴジラに立ちはだかるハードルは、ある意味で『シン・ゴジラ』よりも高いものかもしれない。

 

繰り返しになるが、『シン・ゴジラ』はシリーズの中に置いてみると、非常に異色な作品だ。つまりこの映画で初めてゴジラに熱狂した人々の多くは、過去の作品を見て同じように面白いと感じるかというと、決してそうではないだろう。

 

シン・ゴジラ』が獲得した観客達を、惹き付けられるもの。かつ、元々シリーズのファンだった人々も納得させられるもの。これから作られるゴジラ映画には、自ずとこれらの枷がはめられているように思う。もちろんそれに縛られる必要など全くないのだが、『シン・ゴジラ』が初代の呪縛から抜け出した一方で、それ以降の作品は『シン・ゴジラ』という存在を意識しないわけにはいけない。それは新たな呪縛となった。

 

だからこそ、一体どんな発想で次なる怪獣王の世界を描き出してくれるのか、楽しみで仕方がない。はたして、誰が庵野という大怪獣に挑むのか…?

 

↓続きの記事

yuta-drago.hatenablog.com

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃③

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シン・ゴジラ』#1

2021年4月3日、庵野秀明が脚本・監督を務める『シン・仮面ライダー』が、2023年の公開を目指して製作されることが発表された。2016年の『シン・ゴジラ』(脚本・編集・総監督)、2021年公開予定の『シン・ウルトラマン』(企画・脚本)に続いて、またしても日本特撮の顔たるキャラクターの再構築・再創造が彼に委ねられた。

 

この文章を書いている2021年4月上旬の時点で完成・公開済みなのは『シン・ゴジラ』だけだが、いずれの作品でも、庵野がやろうとしていることは一貫しているようだ。それぞれのオリジナルに込められた精神やキャラクターの本質に立ち帰り、今だからできる映像とストーリーテリングで描き直す。陳腐な言い方をすれば“原点回帰”である。

 

ただ、『シン・ゴジラ』という作品を説明するには、“原点回帰”という表現だけではあまりにも不十分だろう。というのも本作は、庵野のもとに日本最高峰のクリエイター陣──樋口真嗣尾上克郎三池敏夫前田真宏竹谷隆之佐藤敦紀らが結集し、心血を注いで新たなゴジラを作り出した結果、単なるオリジナルの再現にとどまらず、特撮映画として未知の領域に踏み込んでいるからだ。半世紀以上にわたって、絶対的な起点であり、不可侵な存在であり続けた1954年の『ゴジラ』の呪縛から解き放たれた『シン・ゴジラ』は、シリーズにおける特異点となった。
※『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』や『ゴジラ FINAL WARS』で意欲的な設定が取り込まれているが、それでも初代を始点とした世界観であることは否めない。


本作に製作としてクレジットされている東宝の市川南がインタビューで語ったことによれば、同社ではレジェンダリーの『GODZILLA ゴジラ』が発表された頃から、もう一度日本のゴジラをやったらどうか、という話が出始めたという。そして2013年、スタジオジブリ鈴木敏夫を介して市川は庵野と会談。これが契機となり、庵野が構想する新しいゴジラの企画がスタートした。

news.yahoo.co.jp

 

彼が描こうとしたのは、完全生物である恐るべき怪獣の進撃によって、崩壊する日本の姿だった。その劇中におけるゴジラは、あまりに歪でユニークだ。

 

2016年初頭、公式な発表を前に『シン・ゴジラ』の造形をとらえた写真がネットに出回っている。赤くただれたような表皮、虚ろな目、不揃いの牙。見慣れた怪獣王の姿とかけ離れたあまりのギャップに、ファンは動揺した。そして同年7月に本作が公開されると、我々は更にショッキングな映像を目にすることになる。劇場のスクリーンに映し出されたのは、ゴジラの進化。それもオタマジャクシのような第1形態から徐々に成体へと変化し、最終的に人形の第5形態に至るという劇的な変態だった。

 

誰も見たことのない恐ろしく巨大で人智を超えた存在が、(劇中でも現実の世界でも)初めて人類の目の前に現れた衝撃。その点こそ、初代『ゴジラ』の特権であり、後続の作品がどうしても超えられない壁となった。しかし『シン・ゴジラ』は、ただ単に1954年のゴジラを物語から排除しただけでなく、想像だにしなかったビジュアルと設定でもって、初代の衝撃に勝るとも劣らないインパクトを現代に与えることに成功したと言える。

 

また『シン・ゴジラ』は、遂に着ぐるみを脱ぎ捨て、CGアニメーションによりゴジラを描いたという点でもエポックメイキングな一作だった。前回紹介した『新世紀特撮映画読本』掲載の切通理作氏のコラムでは、 尾上准監督・特技統括のこんな言葉が紹介されている。

 

「昔は空をホリゾントに描いて、ミニチュア飾って、ゴジラが歩いてくるのを撮るのが<特撮>だったんだけど、今はそれで一般のお客様が納得する映像を撮るのは難しい」
「マニアックな自己洗脳を自ら解いていかないと先に行けないっていうことに気付いた瞬間があった」

 

かつての慣習や手法に縛られていると、先に進む事ができなくなる。たしかに、例えば樋口監督がこだわったという長い尻尾が熱線を発射しながら縦横無尽に動き回るど派手なアクションを、従来の操演で演出することは難しかっただろう。また第2形態のクネクネとしたのたうち回るような動作も、CGだからこそ再現できたアクションと言えそうだ。『シン・ゴジラ』は慣習や王道の手法に固執することなく、新しい特撮の形を模索したのである。

 

これは決して、これまで培われてきた着ぐるみやミニチュアを駆使した特撮を否定するものではない。事実、CGでゴジラを描くにあたり、特に庵野がこだわっていたのはゴムでできた着ぐるみの質感の再現だった。本来CGで生き物を描く際、アニメーター達は筋肉や間接の動きなどを詳細にシミュレーションし、リアルな表現を突き詰めようとする。しかし、庵野たちが求めたのは生物学的に正しいゴジラではなく、特撮的な視点から見た正しいゴジラだった。

 

彼はCGクリエイターたちに「ゴジラを生物と思わないでほしい」と伝えたという。あまりに理にかなった動きや身体の構造をしているゴジラは、少なくとも庵野が求めるゴジラではなかったし、恐らく多くのファンにとっても望んだ怪獣王の姿ではなかっただろう。

 

また、本作の特撮がひたすらCGに頼っているかというと全くそうではなく、優れた美術スタッフによる精巧なミニチュアを使ったシーンも随所で光る。例えばゴジラ第2形態の進行によって崩れる家屋や第4形態が踏み崩す擁壁などは、瓦といった細かなパーツに至るまで職人の手で丁寧に構築されたものであり、これらの画が持つ迫力は彼らの高い技術力の賜物である。

 

こうした伝統と革新の技術を適材適所に配置することで、『シン・ゴジラ』は日本特撮の新たな可能性を提示した。

 

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<参考文献>
シン・ゴジラ』劇場パンフレット
『別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.4』(洋泉社刊)

 

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃②

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GODZILLA ゴジラ』#2

前回見てきたように、ギャレス版『GODZILLA ゴジラ』の発端には坂野義光による3Dゴジラ作品の企画があった。それを実現せんとする彼の情熱が巡り巡ってレジェンダリー・ピクチャーズ東宝の契約へと結実したのだ。ただ、当初坂野が用意していたゴジラVSヘドラ(デスラ)のプロットがそのまま引き継がれたわけではなく、ゼロから製作チームが組まれ、彼らによって別のシナリオが模索される(坂野は企画がレジェンダリーのチームで新たに仕切り直されるにあたり、「環境問題について扱う」ことを約束したという)。

 

クレジットとしてはストーリー:デヴィッド・キャラハム、脚本:マックス・ボレンスタインとなっているが、彼らの他にフランク・ダラボンデヴィッド・S・ゴイヤーらの手が加えられた。そしてでき上がったのは、ムートーなる古代モンスターの覚醒によってアメリカが混乱に陥る中、自然界の調和を取り戻すべくゴジラが出現し、ムートーとサンフランシスコで対峙するというものだった。結果的にではあるが、坂野が「ゴジラ対ヘドラ アット ザ マックス」で構想してた自然の秩序を守るゴジラというキャラクター像は、完成した作品と一致していたのである。

 

それはつまり、ゴジラを人類と敵対する存在として描かないことを意味していた。彼らはゴジラを、人類が恐怖する存在ではなく、畏怖すべき神として描いたのだ。そのゴジラ像は古参のファンに比較的受け入れられたが、実のところ、それまで東宝が打ち出してきたゴジラのイメージとは似て非なるものだったように思う。

 

「僕たちは、現実の世界で実際にゴジラを見たら、どんな姿だろうかということを突き詰めて考えていた。しょっちゅう会話の中で出てきたのは、『これが人間だったら、どんな人物なんだろう?』というものだった。それをしばらく考えた結果、僕たちが思いついたのは、きっと“最後のサムライ”みたいな存在じゃないかということ。できるなら世の中のごたごたから離れていたいんだが、世界で起きている出来事のために、やむなく再び表舞台にでてきた昔ながらの孤高の戦士、というアイディアだった」
劇場パンフレット掲載のギャレスの発言より

 

その神秘性は初代ゴジラに通じるところもあるし、『ゴジラ対ヘドラ』から『メカゴジラの逆襲』までにおける頼もしい正義の怪獣像にも重なるところがある。しかし、人類という存在にほとんど関心を示さず、砲撃されても敵意を見せない。彼の中には、ムートーを倒すという生態系の王としての使命(あるいは本能か)しかない。ゴジラは街を壊しているのではなく、たまたま彼の行く先に街があり、身体が当たって建物を破壊してしまった。そんな印象だ。こうしたキャラクターのゴジラは、ギャレス版以前にはいなかったと言って良い。オリジナルの骨子を受け継ぎつつも、彼らはそこに新たな解釈を盛り込み、自分たちのゴジラを生み出した。

 

本作のゴジラが新しかったのは、それだけではない。CGアニメーションでその姿が描かれたことも、大きなターニングポイントだった。着ぐるみやアニマトロニクスに頼らないゴジラは、これがシリーズ初である。

 

そのビジュアルがあらゆるファンを納得させる仕上がりだったというと嘘になるが、少なくともゴジラたる威厳と迫力は、東宝の着ぐるみ特撮が作り出してきたそれに勝るとも劣らないものであったこともまた事実である。そこには、ギャレスらスタッフ達のオリジナルに対するリスペクトがあった。

 

その証拠に、彼らはかのアンディ・サーキスを呼び寄せ、モーション・キャプチャーを駆使し、ゴジラの動きに人間の魂を入れた。そうすることで、着ぐるみゴジラの重厚感や動物と一線を画する歪さを、CGを使いつつ再現したのである。『新世紀特撮映画読本』に寄せられた切通理作氏のコラムの言葉を借りるならば、「着ぐるみを元にした、重力を重視した表現の進化形がそこにあった」。

 

2014年5月に全米公開されたギャレス版『GODZILLA ゴジラ』は、各国でヒットを記録し、世界興収5億ドルを突破。日本の誇る怪獣王が、いまだ世界で通用するムービー・アイコンであることを数字でも証明してみせた。これはその後のシリーズが発達していく上で、あまりにも大きく重要な成功だったと言えよう。ここで頓挫していたならば、今日我々が目にしている熱狂もなかったはずなのだ。

 

ただ、日本に限ってみると、この時点ではまだ真の意味でゴジラがかつてのブランドを取り戻すまでには至ってなかったように思う。その復活を目撃するのは、2016年の『シン・ゴジラ』まで待たなければならなかった。

 

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yuta-drago.hatenablog.com


<参考文献>
GODZILLA ゴジラ』劇場パンフレット
『新世紀特撮映画読本』(洋泉社刊)

映画秘宝2018年12月号』『同 2019年1月号』(洋泉社刊)

怪獣王の新時代──2010年代のゴジラ快進撃①

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2004年に『ゴジラ FINAL WARS』が公開され、シリーズに一旦の終止符が打たれた頃、十数年の時を経てゴジラが国際的なマーケットで戦える強力なコンテンツと化すことを予想できた人は、はてして何人いただろう。ハリウッドによってシリーズ化され、その最新作を世界中のファンが待ちわびている状況を、どれだけの人が想像できただろう。

 

少なくとも私は2004年の時点で、かなり真剣にゴジラは終ったのだと思っていた。シリーズの集大成を謳い、歴代の怪獣を惜しむことなく投入した『ゴジラ FINAL WARS』が興行面で惨敗を喫したとき、そのブランドとしての価値が自分の思っている以上に弱っていることを痛感した。

 

メカゴジラの逆襲』から10年の沈黙を経て1984年の『ゴジラ』が作られたように、ともすれば新たな国産ゴジラを目にすることもあるだろう。しかし、その帰還を喜ぶのは一部の特撮ファンだけになるのではないかという、ある種ネガティブな見方しかできなかった。

 

ところが、いまこの状況はどうか。

 

2014年にハリウッドでゴジラがリブートされ、その後キングギドラモスラといった東宝のスター怪獣から米産モンスターの頂に君臨するキングコングまでを取り込んだ巨大シリーズへと発展。国内に目を向ければ、2016年に国産ゴジラが復活し、社会現象と言って差し支えない興行的成功を収め、それからアニメというフィールドで意欲的な作品が展開されていった。

 

これを快進撃と言わずして何と言おう。ゴジラは間違いなく、かつてないほどのブランド力を手にし、黄金期にあるのだ。

 

この状況に至る2010年代にスポットを当て、怪獣王の歩みを振り返ってみたい。


GODZILLA ゴジラ』#1

 

ゴジラ映画が勝ち取った今日の国際的な成功は、2014年に公開されたレジェンダリー・ピクチャーズ製作の『ゴジラ』が切り開いた。その始まりは、2003年にまで遡る。

 

坂野義光怪作『ゴジラ対ヘドラ』の監督と知られる映画人である。彼は『ゴジラ FINAL WARS』によってシリーズが終了するよりも以前、1998年のハリウッド版『ゴジラ』を作ったトライスターから海外におけるゴジラの製作権利が東宝に戻ってきた頃、大型映像システムでの上映を前提としたゴジラの映像作品を企画していた。「ゴジラ対ヘドラ アット ザ マックス」なるタイトルがつけられたその内容は、変形を繰り返して世界を脅威に陥れるヘドラ(デスラ)と、それを食い止めるために現れたゴジラの死闘を描くもので、人間ドラマのない40分ほどの作品を構想していた。監督・脚本は坂野が担当し、海外から出資を募りつつも、日本のスタッフで撮影をするつもりだったという。

 

それから坂野は、後に2014年の『GODZILLA ゴジラ』で彼とともにエクゼグティブ・プロデューサーに名を連ねることになる奥平謙二の助けを借り、企画実現のための資金集めに奔走する。その過程で企画は3D作品を前提とするようになり、アトラクション映像「ターミネーター2:3D」などの仕事で知られるプロデューサーのブライアン・ロジャースといった強力なスタッフがプロジェクトに参加。さらに、制作会社・出資会社としてカーナー・オプチカルが東宝と交渉を開始し、長編としての実現も現実味を帯びてくる。しかし、結局必要な資金は手に入らず、坂野たちの試みは座礁してしまったかに思えた。

 

ところが、その後レジェンダリー・ピクチャーズの登場によって事態は好転。同社は当時、『ダークナイト』『300』『ウォッチメン』といったアメコミ映画の世界的ヒットで急成長を遂げていた。ブライアンは企画が大型映像作品であった頃から同社にプレゼンをしていたが、長編を前提としてレジェンダリーと東宝の交渉がスタート。ゴジラを始めとするモンスター映画を見て育った純正怪獣オタクである同社のCEOトーマス・タルの熱意も追い風となり──当初の坂野の構想とは違う形ではあるが──遂に新生ゴジラの製作がスタートしたのだった。

 

ここまでも坂野・奥平ら当事者たちにとっては相当険しい道であったろうが、製作のバトンを引き継いだレジェンダリーのスタッフらにとって、新しい怪獣王の形を創造するという作業がさらなる困難を伴うものであったのは想像に難くない。既にキャラクター像が確立しているモンスター・アイコンを、いまの時代にどのような形で観客に提示すべきなのか。あまりにオリジナルから逸脱したものを作れば、1998年のローランド・エメリッヒ版『ゴジラ』のようにファンから大いに叩かれるのは火を見るよりも明らかだ。

 

※余談だが、個人的にはエメリッヒ版『ゴジラ』に対して擁護的な立場を取っている。

yuta-drago.hatenablog.com

 

オリジナルのゴジラをリスペクトし、その本質や見せ方を理解していながら、全く新しい世界観を構築できる能力を備えたフィルムメーカー。トーマスやブライアンら製作陣が求めていたのは、そんな監督であっただろう。そこで抜擢されたのが、ギャレス・エドワーズだった。

 

全財産と人生をかけ、50万ドルで完成させた初監督作『モンスターズ/地球外生命体』でその才能を満天下に知らしめた、新進気鋭の英国人映像作家。南米でゲリラ撮影を敢行し、自宅でひとりコツコツとVFXの作業をこなし、ギャレスが持てる情熱と気合いをすべて注ぎ込んだ同作を観て、タルは「彼にもっと資金と大きなカンバスがあったら、とんでもない“絵”を描けるんじゃないか」と思ったという。

 

当時、ギャレスは30代半ばという若さ。しかも監督作は『モンスターズ/地球外生命体』1作のみという新人であった彼に、1.5億ドル以上もの予算をつぎ込んだ超大作を任さたレジェンダリーの胆力と慧眼には敬服せざるを得ない。そして実際、ギャレスはタルたちが求めた見たことのないゴジラの映像表現を見事提示してみせたのである。

 

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yuta-drago.hatenablog.com

 

<参考文献>
GODZILLA ゴジラ』劇場パンフレット
ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター 坂野義光』(フィールドワイ刊)
『新世紀特撮映画読本』(洋泉社刊)
映画秘宝2018年12月号』『同 2019年1月号』(洋泉社刊)