悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

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カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

ムカデ犬の写真を見つめるハイター博士

道端に停めた車の中で、物憂げに写真を見つめる一人の男。そこには、数匹の犬が写っている。おもむろに、男は指で写真を優しくなでた。その犬たちは、口と尻がつながれている。男の表情は、憂いに満ちていた。

映画『ムカデ人間』は、こんなシーンで幕を開けます。犬の写真をながめているのは、ヨーゼフ・ハイター博士。複数の人間を口と肛門で連結させるという変態アイデアを実現させた、ムカデ人間の創造主です。写真の“ムカデ犬”は、人間をつなげる前に愛犬で件のアイデアを試した結果生まれた、博士の創造物1号(多分)。一応手術は成功はしたものの、結局命を落としてしまい、博士はその死を悼んでいたのです。

そういった背景を抜きにして『ムカデ人間の冒頭シーンを見ると、ハイター博士は亡き愛犬を偲ぶおじさんに過ぎません。しかし、なぜワンちゃんたちが死んでしまったかといえば、そもそもの原因は博士の異常な変態実験なわけです。つまり「お前のせいじゃねえか!」と。勝手な手術で殺しておきながら、その死を悲しむというのは、何だか倒錯的な感情のように思えます。

これに似た違和感を、ウクライナを巡る一部のネット上の言説におぼえました。驚くべきことに、ある人達は、ロシアの侵攻を受けるウクライナに、太平洋戦争末期の大日本帝国の姿を重ねて“共感”しているというのです。

言うまでもなく、日中戦争太平洋戦争の口火となったのは日本の軍事行為です。あの戦争において、日本は侵略者でした。どんな大義名分があろうが、あるいは国際的な外的圧力があったにせよ、それは否定することのできない事実です。

終戦間際、たしかに日本はソ連軍による不当な領土占拠や、原子爆弾投下という米軍の大虐殺など、あまりにも非道な仕打ちを受けました。ただそれは、日本が始めた侵略行為の帰結であり、引き際を失った日本政府によってもたらされたものであり、当時の為政者達の外交努力によって避けることが可能だった事態でもあります。

よって、侵略者・日本の成れの果ての姿と、いまロシアの愚行に対して抵抗するウクライナの姿を重ねることは、後者への侮辱に他ならないと思います。それでも、“自分が見たい歴史”、自分にとって“都合のよい歴史”に囚われている人々がいます。彼らにとって、傀儡国家・満州が脅かされることとウクライナが攻撃されていることは、同じように見えるし、ウクライナに残って戦う民間人は、特攻隊の姿と重なってしまう。

それはもはや、ハイター博士の倒錯的な精神状態に近いような気がします。ですので、早稲田大学のA教授のことを、これからハイター教授と呼ぶことにしたいと思います。