悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

山崎貴版ゴジラ 最後の妄想

7月11日、午後8時。「ゴジラ最新作」のツイッター・アカウントを開く。
ただタイムラインを更新するだけにもかかわらず、胸の鼓動が激しくなった。
SNSをのぞくだけで、これほど緊張することもない。

その日のその時間、正式に何か発表があると予告されていたわけではなかった。
6月12日からツイッターやアプリの「ゴジラ+」で突然始まった、国産のゴジラ作品を『シン・ゴジラ』から順に、年代を遡る形で列挙していく「出現情報」と題された投稿。
それは明らかに何かに向かっているカウントダウンであり、初代『ゴジラ』の投稿がなされた7月10日には、翌日何らかの発表があるに違いないと、多くのファンが色めき立った。

2023年11月3日に公開。監督・脚本・VFX山崎貴。その程度の情報だけが出され、タイトルも明かされていなかった国産ゴジラの最新作。
その内容が遂に詳らかになると期待して、件の日時にツイッターを更新すると、たしかに新情報が現れた。

12日AM4時解禁。

予告の予告だった。肩すかしを食らったような、ほっと安堵したような、何とも言えない気持ちが去来した。

そんなわけで、間もなく日付が変わって12日になろうとしている現在、落ち着かず、そわそわとした心持ちで、この文章をしたためている。

あと4時間もすれば、どの程度まで中身が曝け出されるのか判らないにせよ、ゴジラ新作はいよいよ何かしらの実像を伴って、我々の前に現れる。
そうなれば、否でも応でも、新しいゴジラのことを自由に想像するのは難しくなる。
未知の山崎貴ゴジラのことを、ほとんど制約なく妄想できる最後のチャンスが、今この瞬間ということなのだ。

であれば、ここに最後の妄想を繰り広げてしまおう。

振り返れば、『シン・ゴジラ』以後大きな動きがなかった実写の国産ゴジラだが、2022年2月、その界隈がざわつき始めた。
ネットで公開されたのは、東宝の新作映画のエキストラを募るページだった。
作品名は伏せられ、「超大作怪獣映画」(仮題)とされていたが、この時点で監督が山崎貴であることは公表された。

東宝が制作する「超大作怪獣映画」と聞いてゴジラを想起することは、あまりに容易い。
懐疑的な意見もあったが、多くの人は『シン・ゴジラ』以来、久々に日本の怪獣王が復活することを期待した。

そのエキストラ募集の文面では、「映画の時代設定」という項目があり、こう書かれていた。

1945年〜47年戦後の日本

この一文が、ファンの想像を大いに刺激した。
初代『ゴジラ』の物語よりも前、まだGHQ占領下にあった日本を舞台に、ゴジラ映画を作ろうとしているのか。

かつて洋泉社から刊行された『新世紀特撮映画読本』に、批評家・切通理作と娯楽映画研究家・浦山珠夫による山崎貴をテーマにした対談が収録されている。
そこで切通はこんなことを言っている。

僕は初代『ゴジラ』とか『キングコング対ゴジラ』のリメイクみたいなものを、あの時代でやってほしいです。(中略)兵器とかも当時あったものしか使わずに。

「あの時代」というのは映画『三丁目の夕日』の時代設定のことを指し、1945年〜47年とは異なるものの、切作が希望していた初代『ゴジラ』のリメイクという線は、かなり濃いという気もする。

だが、それならば、あえて初代『ゴジラ』よりも前、戦後間もない時代に遡って、再びゴジラを描く、その狙いは何なのか。
1945年に広島と長崎を蹂躙した原爆を、ゴジラ誕生にからめるのか? そんな可能性も頭に浮かぶ。

または、初代『ゴジラ』の前日譚という可能性はどうだろう。
大戸島周辺で、不気味な光に包まれて漁船が破壊されるよりも以前、実は既にゴジラが日本に上陸していた。
どうやってゴジラ出現の事実が隠蔽されたのか疑問だが、これもできないことはないだろう。

あるいは、史実にとらわれず、仮想の戦後日本が舞台ということだってあり得る。
何らかの事情で、アメリカや中国との戦争に敗北せず、天皇を頂点とした帝国として生き残った日本。
この全体主義軍事国家を、ゴジラが襲う。リメイクとは様相が違ってくるが、これはこれで、面白そうだ。

さらに突飛な考えを持ち出すならば、タイムワープはどうだろう。
山崎貴の初期監督作『ジュブナイル』『リターナー』は、いずれもタイムワープが物語の重大な要素だった。
今回の新ゴジラも、始まりは現代であり、そこには人類の手に負えない強大な破壊神ゴジラによって焦土と化した日本の風景が広がっているかもしれない。
そこで、ゴジラがはじめて出現した戦後日本にタイムワープし、今ほど強大でなかった破壊神に挑むという時間改変作戦が決行されるのである。

何だか似たようなプロットが、金色の三首龍が登場する作品にあった気がするが、それはどうでもよかろう。

取り留めのない妄想も、そろそろ終わらなければいけない。
気がつけば、あと数時間で山崎貴ゴジラの何かしらが解禁される。

唐突だが、郷内心瞠の小説『拝み屋怪談 壊れた母様の家<陰>』『〜<陽>』には「造り神」なる存在が出てくる。
字の通り、本物の神ではなく、人間の思いが造り出したまがい物の神である。
それは人間の思いの強さに比例して、とてつもない力を手にすることもある。

この小説を読みながら、ゴジラも「造り神」のようなものだなと思った。
ゴジラは映画の中だけの存在ではなく、多くの人々の中に思い思いのゴジラがいる。
それぞれの思いが作り出した、理想の神としてのゴジラが存在している。
映画で映し出されてきたゴジラも、ある意味、作り手達の思いが結集した「造り神」ではないか。

私も自分の「造り神」としてのゴジラを持ち、それを圧倒する、思わず畏怖してしまうようなゴジラをスクリーンで見たいと願っている。
山崎貴が生み出した「造り神」ゴジラが、そのような存在であることを祈っている。
間もなく、その姿が目の前に現れる……(のか?)。

#ゴジラ #山崎貴