『学校の怪談』は異形の映画に通ず
きっと誰しも、映画に対する好みとか価値観を形成する上で外せない作品ってあるじゃないですか。
私の場合、そのうちの1本に間違いなく入るのが『学校の怪談』であります。
「うひひひひひひひひ……」でお馴染みの、1995年に公開されたホラー・アドベンチャーです。
当時私は小学1年生。静岡は御殿場に昔マウント劇場という映画館がありまして、そこで鑑賞しました。
ぼんやりとした記憶しかないのですが、映画館に着いたとき、まだ前の回が上映中で、売店でお決まりのスナック菓子を買って待っていたような気がします。
で、なぜだか劇場の扉を開けてみたのです。
そしたら、スクリーンいっぱいに映し出されていたのは、ぎょろ目のくっついた気持ち悪い眼鏡ですよ。ギョエッ!
あの邂逅は、四半世紀ほど経った今でもわりとはっきり覚えていまして、私にとって『学校の怪談』を象徴するシーンといえばあのヘンテコ眼鏡なんですよね。
奇怪であり、どこかユーモラスでもあり、あり体に言えばグロい。そして怖い。
そういう歪で厭なものを、子ども向けだからと言って変に薄味にせず、こんなの子どもに見せたらトラウマ必至なんではないかというクオリティで提示してみせる。その胆力こそ、『学校の怪談』という作品の素晴らしさなんじゃないかと思います。
これについて、劇場用パンフに寄せられている同作のSFXプロデューサーを務めた中子真治さんのコラムの中に、重要な証言があるのでご紹介します。
物作りをする時、僕は子供の知性を絶対、過小評価しちゃだめだっていうこだわりを持っていまして、特に今回のような映画の場合、「観るのは子供だから、この程度でいいだろう」っていう作り方をしたら、お終いじゃないかと感じていたんです。
さて、『学校の怪談』と言えば、数々のお化けたちが大暴れする1本でもあります。
どん引きするくらいリアルな臓物丸出しの人体標本、これまた内臓さらけ出しのホルマリン漬け生物たち、神出鬼没の花子さん、そして可愛いテケテケなど、個性豊かな面々が揃っていますが、ショッキングという点でクマヒゲさんこと妖怪インフェルノがずば抜けた存在であることは、論をまたないでしょう。
用務員のおっさんの口から、いきなりでっかいザリガニみたいのが飛び出してきてですね、引っ込んだと思ったら、背中から甲殻類の足っぽいものが生えてくる。
まさに悪夢製造マシーン。あれはダメです。蟹が食えなくなる。
このとてつもなくおっかないクマヒゲさんが、あまつさえ変態を遂げ、クトゥルフ神話に出てきそうな異形の怪物となって襲いかかってくるものだから、さあ大変。
ここに至るまでも登場人物たちの命が危険にさらされている感はありましたが、クマヒゲさん変異後はまさに絶体絶命な展開になってきます。
劇中では辛くもクマヒゲさんの執拗な追跡から逃れることができたわけですが、もし捕まっていたらと考えると本当に恐ろしい。例えば、あの口から飛び出す伊勢エビみたいなやつを、自分の口に突っ込まれでもしたら…ああ、嫌だ! そんな『遊星からの物体X』みたいな展開はきつ過ぎる。
その辺の線引きも上手ですよね。
怖いしおぞましいけど、ファミリー・ムービーとしての一線はギリギリで超えないライン。
的確な線引きをしつつも、しっかり子どもたちをギョッとさせるし、適度なトラウマを植え付ける。
この原体験が、小生の映画人生における方向性を決定づけたのではないかと、今振り返ると思います。『学校の怪談』を通してショックを受けつつも、それなりにショック描写に免疫が出き、なんならああいった怪奇映画に引き寄せられていく。その結果、上述した『遊星からの物体X』を始め『エイリアン』『ザ・フライ』『マウス・オブ・マッドネス』といった異形の映画にどっぷり浸ることになったような気がします。
昔はちょこちょこテレビで放送していたような気がしますけど、もはや毎年やってもらいたいですよね。夏休みはラジオ体操・プール・学校の怪談!みたいな。