悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

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カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

『ナイトホークス』負けるなスタローン! 快作なスライ応援ムービー

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『フィスト』『パラダイス・アレイ』(ともに1978年)と、映画としては秀作であったにもかかわらず興行的にはパッとしなかった2作の後、シルベスター・スタローンは再びグローブをはめ、自らの原点であるあの男を演じることを決意。『ロッキー2』(1979年)を作ります。主演だけでなく監督・脚本も務めた本作はビッグ・ヒットを記録し、傾きかけたキャリアを軌道修正することに成功しました。


そんな『ロッキー2』に続くスタローン主演作が、アクション・スリラー『ナイトホークス』(1981年)です。本作でスライは、スタンリー・キューブリックのごとき口ひげを蓄えたモジャモジャヘアの刑事ディークを演じています。


映画はニューヨークを舞台にディークと相棒のフォックス(演じたのは『スターウォーズ』シリーズのランドでお馴染みビリー・ディー・ウイリアムス)が、ヨーロッパからやってきた危険なテロリスト:ウルフガーに立ち向かうというお話。この悪役を演じているのが、昨年鬼籍に入ったルトガー・ハウアーです。彼にとってのハリウッド・デビュー作が、この『ナイトホークス』でした。


非常に雑なことを言いますと、この映画は“スタローン応援ムービー”であるということに尽きると思います。そもそも彼の作品は、『ロッキー』にしろ『ランボー』にしろ『オーバー・ザ・トップ』にしろ『コップランド』にしろ(中略)すべてスライを応援せずにはいられないわけですが、『ナイトホークス』のディークは本当によく頑張ってばかりです。夜道から地下鉄までめちゃくちゃ走りますし、ロープウェイから宙づりになるし、女装もします。


ただ『ナイトホークス』は、劇中のディークだけでなく、この役を演じているスタローン自身を応援したくなってしまうのです。なぜなら…ハウアー演じるウルフガーがあまりにも魅力的で、主役を喰ってしまうほどの強力な演技だから! それによって、「スタローン、喰われてますよ…頑張ってください…!」という気にさせられてしまうわけです。


本作におけるウルフガーの放つ異様な色気と殺気について、映画監督の光武蔵人さんが映画秘宝に寄稿された文が非常に的確で素晴らしい内容でしたので、引用します。

 

冷酷非道で誇大妄想狂のテロリスト。プレイボーイにして完璧な殺人マシーンという悪のジェームズ・ボンドのような、中途半端な役者が演じたら大失敗になりかねないキャラクターを、ハウアーは独特のケレン味で映画映画史に残る悪役へと昇華させた。(映画秘宝2019年10月号より)


そもそも演技云々の前に、ディークとウルフガーではドラマという点で、圧倒的に後者の方が劇的ではないかと思います。一方は別居中の妻と何とかやり直したい暴れん坊刑事がテロ対策班に招集され、手強い敵に翻弄されつつも、持ち前のガッツと閃きを武器に鉄槌を下す話。一方は、爆破テロで子どもを巻き込んだかどで組織から見放された男が、自身の力量を見せつけて再び信頼を勝ち取るため、ATAC(対テロリスト・アクション・コマンド部隊)率いる宿敵ハートマンの追跡をかわしながら、ニューヨークで新たなテロを仕掛ける話(ちなみにハートマンはウルフガーの仲間の女性テロリストによって惨殺されます)。やっぱり、ウルフガーのストーリーの方が超えるべき壁があって、手に汗握る感じがしませんか。


残虐っぷりも最高で、全力疾走で追いかけてきたランドもといフォックス刑事を物陰で待ち伏せ、ナイフで顔をザックリ切り裂いたり(幸い命に別状はありませんでした)、無抵抗の女性を蜂の巣にしてロープウェイから海へ突き落としたり…。清々しいまでに振り切った悪行を見ていると、何だかウルフガーに勝ってほしいとすら感じるようになります。これはあれですね、『ダークナイト』のジョーカーとかと同じです。


だがしかし、やっぱりそこはスライへの愛情で思いとどまって、「ウルフガー、頑張って…いや違う! スタローン、頑張れ! ハウアーに喰われるな!!」となるわけですね。そのため『ナイトホークス』は、登場人物への感情移入とメタ的視点の両方で熱くなれるという点で、最高の“スタローン応援ムービー”といって差し支えないのです。


ちなみに、ディークのドラマ性が希薄になってしまったのは、スタジオの意向で尺を短くするために、かなりの大事なシーンがカットされてしまったためなのだそうです(ソースはIMDb)。また、レイティングを免れるため、血まみれのハードなシーンも削除されたそうな…ああ、もったいない!

 

本記事は2020年12月12日にnoteで公開したものです。

『パラダイス・アレイ』映画作家スタローンの初期衝動

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『ロッキー』に続くシルベスター・スタローンの主演作『フィスト』(1978年)は、彼にとってフラストレーションの残る作品だったようです。スライは同作について、次のようなコメントを残しています。

 

この作品はジュイソンの映画になってしまった。撮影が終ればクリエーティブな面でぼくはまったく参加できなかった。ラッシュ・フィルムすらまともに見せてくれない。撮影中ぼくが燃えた演技をしたところは一切使われなかった。ぼくはこの映画に出たことを自分自身に対して忠実ではなかったと思っている。
シルベスター・スタローン アメリカン・ドリームの復活』より
※ジュイソンとは監督のノーマン・ジュイソンのこと。


そうした不満のはけ口を求めていたのか、次作『パラダイス・アレイ』(1978年)では主演だけでなく監督・脚本・原作を兼任。さらには主題歌「Too Close To Paradise」のヴォーカル(!)までも担当し、まさに全身全霊をささげた一作となりました。


本作はスタローンの生まれ故郷であるニューヨークのスラム“ヘルズ・キッチン”を舞台にしており、主人公のカルボーニ3兄弟がイタリア系移民の親を持つ点も彼のバックグラウンドと一致します。それゆえ、スタローン作品の中で最も自叙伝的だと言われることが多い一本です。


この作品こそ、自分で書いたのだし、自分の生活そのものだし、監督第一作として、ぴったりだと思い、一人三役にとり組むことにした。
劇場用パンフレットより


『パラダイス・アレイ』のプロットは、『ロッキー』よりもずっと前に書かれたものでした。パンフレットのプロダクション・ノートによれば、最初に書き上げられたのは1970年頃。当初は“Hell's Kitchen”なるタイトルだったそうです。資料によってはシナリオが初めてできたのは1968年と書かれているものもありますが(『シルベスター・スタローン アメリカン・ドリームの復活』)、いずれにせよ駆け出しの俳優・脚本家であった下積み時代の初期に書かれた物語であることは間違いないでしょう。


この頃、スタローンは糊口をしのぐため『ザ・イタリアン・スタローン』(1969年/当時は未公開)などのポルノ映画に出演する一方で、図書館で古典文学を読みあさり、自身を売り込むための脚本を書き続けていました。その中のひとつが『パラダイス・アレイ』だったというわけです(ちなみに、最初の奥さんであるサーシャ・ツァックと出会ったのも1970年頃)。


どん底生活の中で彼が書いた物語は、社会の吹き溜まりとなっていた1946年のヘルズ・キッチンを舞台に、当時のスタローンと同様のどん底を生きる男達が、そこから這い上がろうとするものでした。スライが演じるコズモは、定職に就かず賭け事で稼いだり物乞いに扮して小銭を得たりしながら、何とか食いつないでいます。彼には2人の兄弟がおり、兄レニー(演アーマンド・アサンテ)は第二次世界大戦で負傷した片足に障害を抱えながら、葬儀屋の助手として死体処理の仕事を、弟で心優しい青年ビクター(演リー・カナリート)はその巨躯を活かし、氷屋の配達をしています。


そんな3人が一発逆転のチャンスをつかむために挑んだのが、“パラダイス・アレイ”というナイトクラブで開催されている賭けレスリングでした。コズモに言いくるめられたビクターが不承不承ファイターとして出場し、レニーはマネージャーとしてビジネス面を仕切ることになります。氷屋の仕事で鍛え抜かれた鋼の肉体を武器に、ビクターは連戦連勝。大いなる成功に向けて突き進んでいるように見えましたが、度重なる戦いによって痛ましい姿に変わっていく弟を前に、言い出しっぺのコズモの心は揺れ動き…というのが、『パラダイス・アレイ』の大筋です。


ここで唐突ですが、『ロッキー』のことを思い出してみます。同作におけるロッキー・バルボアのストーリーには、「チャンピオン:アポロを相手に最終ラウンドまで戦い抜いて、ゴロツキじゃないと証明する」という確固たるゴールがありました。アポロを倒すことではなく、自分自身に打ち勝つこと。それこそが本作でスライが伝えたかったメッセージの要諦であり、ロッキーにとっての勝利だった。


翻って『パラダイス・アレイ』はというと、実は『ロッキー』ほど構築され、カタルシスをもたらすゴールはないように思えます。地下レスリングで名を馳せ、いろいろあってバラバラになりかけた兄弟が最終的には絆を取り戻す。簡単に言ってしまうと、これが3人のたどり着いたエンディングなわけですが、有り体に言えば非常にモヤッとする終り方でした。というのも、コズモと兄レニーの間に生じた確執、そしてレニーの内面的変化に対する落としどころが用意されていない気がするからです。


戦争から帰ってきたレニーは厭世的な人間になり、どこか人生を諦めてしまっているようでした。しかし、ビクターを使って賭けレスリングで儲けようと企むコズモに反対して口論になり、やけ酒に寄った勢いでかつての恋人アニーのもとへ。彼女は自分を捨てたレニーのことを最初は拒みますが、押し問答の末、2人は愛を取り戻します。そして、ビクターのマネージャーとして自ら試合の交渉や金銭面を仕切るようになると、次第に別人のように変わっていきました。


ここで、ある逆転が起こります。先述したように、ビクターをレスリングに巻き込んだ張本人であるコズモは、弟の命がズタボロになっていくことを危惧して戦うのを止めさせようとしますが、レニーはどんどんビジネスにのめり込んでいき、かつて弟に向けていた優しさを失っていったのです。遂にはコズモの忠告も聞かず、3兄弟と因縁を持つ怪物のような巨漢フランキー(演じたのはプロレスラーのテリー・ファンク)とのビッグマッチを取り決めてしまいます。


このように『パラダイス・アレイ』においては、主人公コズモ以上にレニーという存在が劇的です。もちろんコズモも十分に魅力的な人物ですが、ドラマという観点ではレニーの方が吸引力がある。僕はそう感じました。


そのため、レニーがビジネスに目が眩んでビクターの命を危険にさらしたこと、それによってコズモとの間に生じた確執。そこに落とし前をつけてくれなければ『パラダイス・アレイ』の物語は気持ちよく終れないと思うのですが、本作はフランキーと死闘を制したビクターがある種の仲介役となり、兄弟が絆を取り戻すところで幕切れします。映画を観ているこちらも激戦の熱狂に飲み込まれ、その光景に思わず胸が熱くなるわけですが、冷静に考えると、レニーが抱えた問題はうやむやになったまま終っているわけです。


もちろん、何でもかんでもきれいにオチをつけるのが映画にとって良いことだとは断じて思いませんが、レニーの物語にはそれなりの落としどころが必要だったのではないのだろうか。その不足が、『パラダイス・アレイ』のカタルシスを減じているではないか…と、思わざるを得ないわけです。


実は、当初本作の脚本には暗くて悲しい結末が用意されていたといいます。そこをスタローンは大団円に書き換えたわけですが、それによってこういったモヤモヤが発生しているのかもしれません。


と、何だか偉そうなことをぶってしまいましたが、映像作家としてのスタローンの初期衝動が炸裂した『パラダイス・アレイ』には、忘れがたい素晴らしいシーンもたくさんあります。


わけても白眉だと思うのが、コズモとビッグ・グローリーの交流です。ビッグ・グローリーというのは、ビクターに敗れるまで“パラダイス・アレイ”で挑戦者を蹴散らし続けた黒人の大男で、長きにわたって戦い続けたファイターでした。


クリスマスの夜、コズモはフランキーと戦い、打ちのめされてしまったビッグ・グローリーを街へと連れ出します。2人はトラックでフランキーがいる酒場に突っ込んで一矢報いた後に、河のほとりで横になり、酒を飲み交わしていたのですが、矢庭に立ち上がったビッグ・グローリーは言いました。「ハッピーな夜に死にたい」。戸惑うコズモをよそに、ビッグ・グローリーは河の方へ身を投げますが、落ちた先はゴミ溜まりでした。しかし、ホッとして笑みをこぼすコズモの面前で尾羽うち枯らしたファイターは、冷たい水の中へと飛び込み、その暗闇に飲み込まれていったのです。


暖かい時間の中にぶち込まれた、突然の死。


それまでのユーモラスな演出があったからこそ、レスリングに身を捧げて魂をすり減らし続けてきた男の悲しさと侘しさが際立つ、名シーンだと思います。


ちなみに、『ロッキー』『フィスト』『パラダイス・アレイ』を見ていると、あるスライの哲学が浮かび上がります。それは、「気に入った女を落とすためには、気の利いたギャグをまくしたててデートに誘え!」です。きっと、これはスライが実際にストリートで培ったテクニックです。間違いありません。

 

本記事は2020年11月26日にnoteで公開したものです。

『フィスト』スライを魅了した成り上がりと破滅の物語

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マーティン・スコセッシ監督の『アイリッシュマン』(
2019年)で、アル・パチーノが演じていたジミー・ホッファという男がいます。彼はチームスターズ(International Brotherhood of Teamstersなる全米トラック運転手労働組合の指導者で、政界にまで影響を及ぼすほどの絶大な権力を誇った人物です。

『フィスト』1978年)でシルベスター・スタローンが演じた主役のジョニー・コバックは、このホッファをモデルにしています(当時製作サイドは明言しなかったそうですが)。

『ロッキー』(1976年)でブレイクスルーを果たし、一躍スターダムに駆け上がったスライが、次なる一手として選んだのが『フィスト』でした。原案を書いたのは、後に『氷の微笑』(1992年)などを手がけるジョー・エスターハス。脚本は彼とスライの共作です。

ちなみに、本作のプロデューサーであるジーン・コーマンは、かの有名なロジャー・コーマン実弟です。で、この記事を書くのに色々調べていたところ、彼が先日亡くなっていたことがわかりました(享年93)。合掌。

物語のはじまりは1937年。ジョニー・コバックはオハイオ州クリーブランドの食品貯蔵会社で、肉体労働に従事していました。そこでは意地悪な現場監督的なおじさんが威張り散らし、いちゃもんをつけながら若い労働者たちをこき使っていたのですが、耐えかねたジョニーたちが「やってられっか!」とブチ切れ。彼が会社と交渉して待遇改善の約束を勝ち取ります。がしかし、結局その約束は反故にされ、ジョニーは解雇。

親友のエイブともどもニートになってしまったジョニーですが、彼の活躍ぶりに目をつけたマイクという男がいました。彼は全米長距離トラック輸送組合F.I.S.T.Federation of Interstate Truckers支部長で、ジョニーたちを組合にスカウトします。そこから2人はめきめきと頭角を現しはじめ、途中組合の活動を妨害しようと資本家が差し向けたチンピラからリンチを受けたりするなど痛い思いもしますが、加盟者は順調に増加。

そんな中、資本家団体に賃上げなどの要求を拒否されたF.I.S.T.”の面々は、ストを決行します。ジョニーたちはあくまで平和的に抗議していたのですが、そこに警察やら暴漢やらが突入してきて、彼らを一方的に弾圧。あまつさえマイクが射殺されてしまいます。

同志を失い悲しみにくれるジョニーですが、ナイトクラブのオーナー:ドイルからの協力の申し出を受け入れ、彼を後ろ盾に再度ストを決行し、遂に資本家たちを屈服させることに成功。しかし、ドイルとの連携は、裏社会とコネクションを持つことも意味していました。

そのことに反発したエイブが別の支部へと去っていってしまったものの、ジョニーはシカゴ・シンジケートを取り仕切るベイブの力を(不本意ながらも)借りながら、F.I.S.T.”の勢力を拡大。遂には、組合のトップにまで登り詰めるのです。

『ロッキー』『フィスト』、それらに続く主演作『パラダイス・アレイ』1978年/監督・脚本も兼任)。1976年~1978年というわずか2年の間に公開されたこれら3つの作品は、いずれも「社会の底辺からのし上がっていく男の物語」であり、私は勝手にスライ成り上がり三部作と呼んでいます。

究極のアメリカン・ドリームを『ロッキー』で描き、そして自身の実人生においてもそれを体現したスライですが、名声と富を得てもなお成り上がりの物語にこだわり続けていたという事実は、非常に興味深いです。彼は『フィスト』のストーリーのどこに惹かれたのかを、次のように説明しています。

 

FIST”に描かれたものはアメリカそのものだ。かねてから俺が狙っていたテーマそのものだったんだ。(当時の日本版パンフレットより)

 

名もなき大勢の役者の中に埋没していた下積み時代を経て、『ロッキー』でその混沌から抜け出た自身のサクセス・ストーリーと、ジミー・ホッファの人生を下敷きにした『フィスト』の物語が共鳴したのは、想像に難くありません。

ただ、ホッファをモデルにした物語ということは、それは必然的に破滅に着地することも意味します。『フィスト』においてジョニー・コバックは、裏社会との密な関係をマディソンという上院議員に嗅ぎ付けられ、窮地に立たされた末、ベイブが差し向けたであろう刺客によって絶命。巨大な権力を手中に収めたまま、その一生を終えます。

絶大な力を手にしながら、それをコントロール仕切れず、そのうねりの中に飲み込まれてしまうという結末は、成り上がり三部作の中で異質であり、『ロッキー』や『パラダイス・アレイ』のようなカタルシスは得られません。

その点が本作の興行的不振の原因でもあったと思いますが、しかし、『フィスト』は成り上がりの物語であると同時に、権力と名声の中で破滅していく男の話でもあったからこそ、スライにとって大きな意味があり、彼を惹き付けたのではないかと勝手に考えています。

というのも、『ロッキー』での躍進後、スライの周りにはその成功を妬む者、金目当てに近づいて来るハイエナ、私生活を覗き見ようとするマスコミなどが跋扈するようになり、彼の心は不信感に蝕まれていたようです。それもあってか、当時妻サーシャ・長男セイジと新居に移り住んだばかりだったにもかかわらず、程なくして堀と監視カメラ、ガードマンによって守られた別の家に引っ越してしまいます。

実際のところ、スライがどんな心情であったのかは知る由もなく、想像でしかありませんが、自分ではどうにも制御しようのない状況の中で転落し、破滅していくのではないかという恐怖心が多かれ少なかれ彼の中にあった。それがスライを苦しめていた。そんな彼の暗部が『フィスト』のジョニーと重なり合い、この重厚なるドラマが完成したのだと思っています。

【追記】

本記事をアップした後、スタローン関連の文献にあたっていたところ、『フィスト』には3種類の結末が用意されていたという記述を目にしました。そこには、このように書かれています。

シナリオではジョニー・コバックは撃たれて死ぬというものであり、ジュイソンの考えた結末はジョニーが誘拐されて終わるというものだった。だがシルベスターは「ロッキー」のように勝利で終わらせようと考えた。(『シルベスター・スタローン アメリカン・ドリームの復活』より)

 

この事実は、先述した「スライは破滅の物語に惹かれたのではないか」という推察と矛盾するようにも思えます。とどのつまり、彼は純粋なサクセス・ストーリーを求めていたのかもしれません。

 

本記事は2020年11月9日にnoteで公開したものです。

ビルとテッドのエクセレント・ギター・ジャーニー

 

EVHを引き抜こうとしたアマチュア・バンド

まだ本格的なブレイクを果たす前のキアヌ・リーブスと、俳優としてだけでなく監督・プロデューサーとしても活躍しているアレックス・ウィンターがダブル主演を務めた、SFコメディビルとテッドの大冒険

 

カリフォルニア州サン・ディマスに住む主人公の高校生2人組:ビル(アレックス)とテッド(キアヌ)は、病的なまでに陽気で、かつ筋金入りのアホです。彼らはともにギタリストで(まともに弾けない)、“ワイルド・スタリンズ”(本当はスタリオンズですが、アホなためバンド・ロゴのスペルが間違っている)というバンドを組んでいるのですが(ギター以外のパートはいない)、学校の成績が悪すぎて落第寸前の状態。

 

もし次の歴史の研究発表が先生に認められなければ、テッドは強制的に陸軍学校に入れられることになっており、そうなるとワイルド・スタリンズは解散する他ありません。

 

そんな2人のもとへ、未来からルーファスという男(演:ジョージ・カーリン)がやって来ます。彼は、将来人類にとって最も偉大なアーティストとなるワイルド・スタリンズの解散を防ぐため、ビルとテッドが歴史の発表を無事クリアできるよう手助けするために遣わされた使者でした。彼から借りた電話ボックス型のタイムマシンに乗り、2人は過去へと向かい、歴史上の重要人物たちを尋ねて回ります

 

映画の冒頭、ビルとテッドはガレージでギターを手に、カメラを回してビデオを撮影していました。一応演奏しているのですが、音楽的にはめちゃくちゃで、聞くに堪えないレベルです。そして音量を上げ過ぎてアンプをぶっ壊した後、次のような会話を始めます。

 

ビル「スーパー・バンドになるためには、エディー・ヴァン・ヘイレンをワイルド・スタリオンズに迎えなきゃな」

テッド「でも、そのためには、ミュージック・ビデオを作って彼に観てもらわないと」

ビル「いや、その前にちゃんとした楽器を手に入れなきゃ」

テッド「楽器があっても、上手く弾けないとダメだろ」

ビル「だから、エディー・ヴァン・ヘイレンに入ってもらえばいいだろ!」

テッド「そのためにミュージック・ビデオが必要なんだってば!」

ビル&テッドそれ最高!」

 

 

そのガレージの内部にはヴァン・ヘイレンのライヴ写真がプリントされたポスターが貼ってあり、観客はここで彼らがヴァン・ヘイレンの大ファンであることがわかります。

 

エディー・ヴァン・ヘイレンの逝去を、彼の息子でバンドのベーシストであるウルフギャングが発表してから間もなく、シリーズ最新作『BILL & TED FACE THE MUSIC』のTwitter公式アカウントが、以下の投稿をしました。

 

ジャーナリストのDave Itzkoffの投稿を引用して、エディーの死を悼むものでしたが、氏のツイートに載せられている動画が、いまご紹介したガレージでのビルとテッドのやり取りです。

 

2人のエクセレントな大冒険はここからスタートしたわけですが、破天荒なギター・プレイでロック・ミュージックの風景を一変させたエディーを敬愛し、彼に憧れるビルとテッドが、やがて音楽で世界に秩序をもたらすという構図が、作品の中で成り立っています。もしかすると2人は、ヴァン・ヘイレンの音楽に触発されてギターを手に取ったのかもしれません。

 

また、劇中でビルとテッドは、イカしたアイデアを思いついたり何かいいことがあったりした時に、速弾きのポーズを取ってエア・ギターを演じます(ピロピロという実際のギターのサウンドが効果音的に付いてます)。で、このときビルはタッピング──いわゆるライト・ハンド奏法っぽい動きをするんですが、この奏法はエディーの名をシーンに轟かせた彼の代名詞ともいうべきテクニックです。

 

こういったことを踏まえると、エディー・ヴァン・ヘイレンというギタリストが『ビルとテッド』シリーズを語る上で欠かせない存在であることが窺い知れるでしょう。


エクストリームのエクストリームなプレイに乗って大暴走

ビルとテッドの大冒険』のサウンドトラックにはいわゆるハード・ロックヘヴィ・メタル系のバンドが参加しているのですが。中でもヌーノ・ベッテンコート率いるエクストリームが提供した「Play With Me」が流れるシーンは非常に印象的です。

 

歴史の研究発表に参加してもらうため、過去から偉人たちを無理矢理連れて来たビルとテッドは、暇つぶしのため彼らをショッピング・センターに連れていきます。2人は行方不明となったナポレオンを探しに──そのときナポレオンは何をしていたかというと、ウォーター・スライダーで遊んでいました──その場を離れるのですが、偉人たちが大人しく待っているはずがなく、好き勝手に遊び始めるわけです。若いお姉さんをナンパするソクラテスフロイト、金属バットやホッケーの防具を身につけ警備員と格闘するジンギス・ハン、写真スタジオからハットをパクるリンカーン、エアロビ教室に乱入して講師をステージから突き落とし、全力で踊り狂うジャンヌ・ダルク。こういった調子で、各々がショッピング・センターを満喫しているシーンを、「Play With Me」のエクストリーム(過激)なギター・ソロが盛り上げます。

 

映画で流れているのは、モーツァルトの「トルコ行進曲」の一節を引用したイントロと間奏のギター・ソロをつないで編集された音源です。で、面白いのが、劇中ではこのソロを楽器店に迷い込んだベートーベンがシンセで弾いているかのように演出されていること。鳴っている音は完全にギターですが、シンセという未知の楽器に触れて興奮したベートーベンが、即興で「Play With Me」のソロを奏でているかのように映画では描かれています。

 

この狂騒は羽目を外しすぎた偉人達が全員警察に連行されるという形で終わるのですが、あまりにくだらない展開も含めて、シリーズ屈指のハチャメチャで楽しい場面だと言えるでしょう。

 

ちなみに、映画の終盤には見事歴史の研究発表をパスできたビルとテッドのもとへ再びルーファスが現れるのですが、彼は記念に2人とセッションしたいと言い、ギターの腕前を披露します。ここでルーファスはビルとテッドよりも100倍くらい上手い、強烈なアドリブ・ソロを披露するのですが、この演奏を担当したのはギタリストのスティーヴィー・サラスです。

 

先に紹介したヌーノもスティーヴィーも、エディーを自身のギター・ヒーローとして語り、彼へのリスペクトをインタビューなどで披瀝してきました。とどのつまり、この映画は主人公2人組も含めて、ヴァン・ヘイレン愛する人々によって成り立っていると言っても過言ではありません。

 

物語もギターもパワー・アップした『地獄旅行』

『大冒険』から3年後を描いた続編の『ビルとテッドの地獄旅行』では、タイムワープものだった前作とは異なり、タイトル通りビルとテッドが地獄巡りをする話です。

 

ワイルド・スタリンズがもたらしたエクセレントな世界を嫌う一味が、未来からビルとテッドそっくりの殺人サイボーグを現代へ送り込み、彼らを暗殺しようとする、いわば『ターミネーター』的な展開で映画はスタート。ビルとテッドは崖から突き落とされまんまと殺されてしまい、幽霊と化した2人は現世を彷徨うのですが、いろいろあって地獄に落とされてしまいます。

 

この粗筋だけでも、『地獄旅行』が前作を超えるスケールとアホさを併せ持った続編だということがわかると思いますが、本作はそれだけでなく音楽面もパワー・アップ。ウィンガー(「Battle Stations」)、メガデス(「Go To Hell」)、フェイス・ノー・モア(「The Perfect Prime」)、プライマス(「Tommy The Cat」)など、サウンドトラックに名を連ねるバンドが強力なのは言わずもがな、『地獄旅行』で特筆すべきはギター・マエストロ:スティーヴ・ヴァイの参加です。彼は「The Reaper」というインスト曲を提供しているだけでなく、ビルとテッドのエア・ギターの効果音も担当。『大冒険』よりもヴァリエーション豊かなピロピロ・サウンドで、映画を彩ってくれています。

 

また、本作のクライマックスはバンド・バトル(コンテスト)が舞台で、サイボーグと未来からやってきた敵の首領:デ・ノモロス(演:ジョス・アックランド)を撃退したビルとテッドは、16ヵ月間ギターの猛特訓を積んだ後、タイムマシンを使ってステージに帰還(要は『ドラゴンボール』の“精神と時の部屋”で特訓し、強くなってきた的な展開です)。さっぱり楽器の弾けなかった2人はミュージシャンとして大いに成長し、最高のロック・パフォーマンスを披露します。

 

ここで流れる曲が、KISSの「God Gave Rock 'N' Roll To You II」。アージェントの楽曲「God Gave Rock And Roll To You」のカヴァーである同曲は、ゆったりとしたテンポで大人しめのロック・ソングですが、ワイルド・スタリンズが遂に世界的スーパー・スターへと駆け上がる道を切り開いた場面に相応しい、至高のメロディーを有する名曲であります。映画で流れるヴァージョンではCD版と違い、KISSっぽくない音のリード・ギターが鳴り響いていますが、これはスティーヴ・ヴァイが弾いたものです。

 

こうして振り返ってみると、『ビルとテッドの大冒険』と『ビルとテッドの地獄旅行』は現在から見てもトップ・レベルのギタリストによるプレイで満ち溢れた、最高のギター・ムービーであったことがわかります。そして、彼らの多くが多大なる影響を受けたギタリストがエディー・ヴァン・ヘイレンであり、彼はワイルド・スタリンズの原点であり、ビルとテッドが目指すギター・ヒーローでもあったわけです。

 

本記事は2020年10月12日にnoteで公開した文章を修正したものです。

コーマ・ドゥーフ・ウォリアー:怒りのデス・ギター

人面マスクを被って赤いツナギに身を包んだ、初期スリップノットのメンバーみたいなルックス。

ヘッドから火を噴くヘンテコなギターを抱えた、奇想天外な音楽戦士である彼の名はコーマ・ドゥーフ・ウォリアー

言わずと知れた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の人気キャラであります。

 

2時間ある本編のうち、彼の出番は2分にも満たないのですが、その強烈が過ぎる個性でもって彼の存在は観客の脳髄にこびりついて、こすっても落ちやしないものとなりました。

 

『怒りのデス・ロード』のヴィラン:イモータン・ジョーの率いる軍団は武装した改造車を駆り、獅子奮迅の勢いで主人公のマックスたちを追っかけ回すわけですが、ドゥーフ・ウォリアーが乗っているドゥーフ・ワゴン(ドラム・ワゴン)はそれら改造車の中でもこれまたユニーク。

4つの太鼓とイングヴェイ・マルムスティーンが嫉妬しそうなくらいの大量のスピーカーが内臓された巨大ダクトを積載していて、フジロックなどで重宝しそうな、いわば移動式ライヴ・ステージとなっています。車両の天井部はドゥーフ・ウォリアーがパフォーマンスするための舞台であり、大量のスピーカーを背にギターをかき鳴らすその姿は、往年のギター・ヒーローさながら。

 

なぜ彼が戦闘中にギターを弾いているのかというと、決してさぼっているわけではありません。指揮官=イモータン・ジョーの命令をギターとドラムの爆音アンサンブルによって、軍団全体に行き渡らせる重要な役目が与えられているのです。

 

ドラム・ワゴンの目的のひとつは、ウォー・ボーイズたちに音でシグナルを送り、イモータンの戦闘指示を伝えることだ。ギブソン(※1)はこう説明する。「どんな軍隊にも鼓笛隊がついている。爆音をたてて砂漠を突っ走る爆走軍団は、派手な銃声を響かせているだけでなく、鋼鉄製のシャーシの上では武器や道具が跳ねてガンガン音をたてている。コーマ・ドゥーフ・ウォリアーは目が見えない。しかし、戦争のテーマを演奏する。メトロノームを思わせるビートを刻み、音楽でウォー・ボーイズの行動をまとめあげる。V8エンジンの咆哮のなかではほとんど何も聞こえないので、ドラム・ワゴンには巨大なPAとスピーカーシステムが装備されている」


『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』(玄光社刊)より

1 ギブソンとは、美術監督のコリン・ギブソンのこと。

 

 

さて、ドゥーフ・ウォリアーが手にしているのは、6弦ギターと4弦ベースが組み合わさったダブル・ネック・ギターであります。6弦ギターの方を弾いていることが多いですが、映画をよくチェックしてみると、2ヵ所でベース・ネックを持って演奏している箇所を発見。1つはちょうど本編の半ばあたり、夜の湿地でイモータン軍団が立ち往生するシーン。もう1ヵ所はマックスがドゥーフ・ワゴンに飛び移って、ドゥーフ・ウォリアーからギターをぶん捕る直前のシーンです。人食い男爵の乳首いじりなみにどうでもいい情報でした。閑話休題

 

4人のドラム隊が叩くプリミティブな躍動感に満ちたビートとヘヴィなギター・リフが織りなす爆音アンサンブルは、聴く者を鼓舞する危険なまでの活力でみなぎっており、モリモリと闘争心が沸き上がってきます。ドゥーフ・ウォリアー達の演奏は命令を伝達するだけでなく、戦意高揚にも大きく貢献しているわけです。(ブライアン・タイラーの手掛けた『ランボー 最後の戦場』の音楽もこんな感じで最高ですよ)これについて、ジョージ・ミラー監督は次のように述べています。

 

90年代にオーストラリアの荒野に巨大なサウンドシステムを運んで、ダンス・パーティするのが流行した。そのサウンドシステムの重低音の響きから「ドゥーフ」と呼ばれた。戦いに楽隊を同行させるのは、大昔からある。未開の部族は戦いの太鼓を叩くし、英国やスコットランドの軍隊も戦場で鼓笛隊やバグパイプを鳴らしながら突撃した。
『マッドマックス・ムービーズ 近未来バイオレンス映画大百科』(洋泉社刊)より

 

また、同書のインタビューでジョージ・ミラーは、「私は『マッドマックス』をロック・コンサートみたいな映画にしたかったんだ」とも述べています。このロック・コンサート感を演出する上で、ドゥーフ・ウォリアーの存在がいかに重要だったのかは、説明するまでもありません。なにせ、ロック・コンサートには狂ったギタリストが不可欠なのだから。

 

彼のギターから炎が吹き上がる様は、KISSモトリー・クルーラムシュタインなど多くのロック・バンドが取り入れている、パイロを用いた過激なライヴ演出を彷彿させます。つまりドゥーフ・ワゴンは、軍隊の楽団をロック・パフォーマンス調にアレンジしたものと解釈することができるでしょう。

なお、彼のダブル・ネック・ギターは一般的なギターでは考えられない材で構成されており、例えばペグ(弦をチューニングするためのパーツ)には自動車用の点火プラグを採用。そしてジョージ・ミラーによると、ボディー材には便座(?)が使われているそうです(※2)。つまり、クイーンのブライアン・メイもあっと驚く、スーパーDIYギターなのだ!

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それから、最後にドゥーフ・ウォリアーの出自についてもお話しておきたい。彼のバックグランドはジョージ・ミラーが考えた基本設定と、それをもとにドゥーフ・ウォリアーを演じているiOTA(ミュージシャン/俳優/戯曲家)が考案した独自のストーリーがあるのですが、その2つを合わせると、大体次のような話になります。

環境破壊の影響によって生まれつき目が見えない男の子は、ミュージシャンである母親と幸せに暮らしていた。ところがある日、何者が2人を襲い、母親は首チョンパというむごい目に。愛する母の首を抱きかかえる若き日のドゥーフ・ウォリアーを保護したのが、他ならぬイモータン・ジョー様だった。彼の軍団に迎えられたドゥーフ・ウォリアーは、母の頭皮をはぎ、それを被って戦場に赴いていったのである

彼は母親と一体となり、自分達に降り掛かったこの世の不条理を呪いながら、ギターを介してその怒りを世界に放ち続けているのかもしれませんね。


【おまけ】ドゥーフ・ウォリアーのギター・サウンドを作るには?

ドゥーフ・ウォリアーの演奏の大部分は、『怒りのデス・ロード』の音楽を担当したトム・ホーケンバーグ自身がプレイしたものです(ヤー・ヤー・ヤーズのギタリスト:ニック・ジナーもレコーディングに参加)。

 

以下、トムの経歴。彼はオランダ出身のマルチ・プレイヤーなミュージシャン/プロデューサーで、これまでにニュー・ウェイヴ・グループのウィークエンド・アット・ワイキキや、インダストリアル・ロック/ヘヴィ・メタル系のナーヴといったバンドに参加した他、1997年から自身のソロ・プロジェクト:ジャンキーXLでも精力的に作品を発表。また1996年頃から映画音楽の制作にも携わるようになり、その後ハンス・ジマーが手がけるサウンドトラックにリミキサー/共作者という立場で参加した。そして、彼にとって転機となった作品が、2014年の『300 スリーハンドレッド〉 ~帝国の進撃~』。同作でトムの書いたスコアを気に入ったワーナーブラザーズの重役が、彼をジョージ・ミラーに紹介したことがきっかけで、トムは『怒りのデス・ロード』の音楽を任されることになったそうな。この後、彼は『デッドプール』(2016年)や『ターミネーター:ニュー・フェイト』(2019年)といった話題作に起用され、ハリウッドの売れっ子映画音楽作家への道を駆け上がっていったのである。

 

そんなトムが『怒りのデス・ロード』の音楽制作について解説したレクチャー動画が、ネット上にアップされています。

youtu.be

動画の中で、トムは『怒りのデス・ロード』の音楽制作にあたりストーナー・ロックを意識したと語っています。カイアス、オーディオ・スレイヴ、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジといったバンドを例に挙げ、彼らの音楽で聴ける重々しいグルーヴィなギター・リフがこの映画にはピッタリだと考えたそうです。

 

そして動画では、レコーディングで使用した機材についても詳しく紹介されているではありませんか! これであのヘヴィ・サウンドを出せるぞ!

~~~『怒りのデス・ロード』ギター・レコーディング 機材リスト~~~
ギター:ギブソンSG1974年製)
ギター:ギブソンレスポール
 ※ギターのチューニングは6弦からCGCGBE(オープンCmaj7チューニング)
アンプ:オレンジThunderverb 200”(ヘッド)&4発入りキャビネット
エフェクター:フルトーンFull-Drive 2 Mosfet(オーヴァードライヴ・ペダル)
エフェクター:フルトーンFat-Boost Model FB-2”(ブースター・ペダル)

 

余談ですが、トムは2021年公開予定(延期しませんように!)のモンスターバース・シリーズ最新作『Godzilla vs. Kong』で音楽を手がけることを、自身のTwitterで明かしています。『怒りのデス・ロード』のような血湧き肉踊るビートが流れる中、日米のモンスター・アイコンが激突する想像しただけでも胸が高高鳴るじゃないですか。彼の音楽によって、『Godzilla vs. Kong』にどんなマジックが引き起こされるのか、マジで楽しみです!!

 

本記事は、2020年7月9日にnoteで公開した文章に修正を加えたものです。