悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

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カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

『フィスト』スライを魅了した成り上がりと破滅の物語

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マーティン・スコセッシ監督の『アイリッシュマン』(
2019年)で、アル・パチーノが演じていたジミー・ホッファという男がいます。彼はチームスターズ(International Brotherhood of Teamstersなる全米トラック運転手労働組合の指導者で、政界にまで影響を及ぼすほどの絶大な権力を誇った人物です。

『フィスト』1978年)でシルベスター・スタローンが演じた主役のジョニー・コバックは、このホッファをモデルにしています(当時製作サイドは明言しなかったそうですが)。

『ロッキー』(1976年)でブレイクスルーを果たし、一躍スターダムに駆け上がったスライが、次なる一手として選んだのが『フィスト』でした。原案を書いたのは、後に『氷の微笑』(1992年)などを手がけるジョー・エスターハス。脚本は彼とスライの共作です。

ちなみに、本作のプロデューサーであるジーン・コーマンは、かの有名なロジャー・コーマン実弟です。で、この記事を書くのに色々調べていたところ、彼が先日亡くなっていたことがわかりました(享年93)。合掌。

物語のはじまりは1937年。ジョニー・コバックはオハイオ州クリーブランドの食品貯蔵会社で、肉体労働に従事していました。そこでは意地悪な現場監督的なおじさんが威張り散らし、いちゃもんをつけながら若い労働者たちをこき使っていたのですが、耐えかねたジョニーたちが「やってられっか!」とブチ切れ。彼が会社と交渉して待遇改善の約束を勝ち取ります。がしかし、結局その約束は反故にされ、ジョニーは解雇。

親友のエイブともどもニートになってしまったジョニーですが、彼の活躍ぶりに目をつけたマイクという男がいました。彼は全米長距離トラック輸送組合F.I.S.T.Federation of Interstate Truckers支部長で、ジョニーたちを組合にスカウトします。そこから2人はめきめきと頭角を現しはじめ、途中組合の活動を妨害しようと資本家が差し向けたチンピラからリンチを受けたりするなど痛い思いもしますが、加盟者は順調に増加。

そんな中、資本家団体に賃上げなどの要求を拒否されたF.I.S.T.”の面々は、ストを決行します。ジョニーたちはあくまで平和的に抗議していたのですが、そこに警察やら暴漢やらが突入してきて、彼らを一方的に弾圧。あまつさえマイクが射殺されてしまいます。

同志を失い悲しみにくれるジョニーですが、ナイトクラブのオーナー:ドイルからの協力の申し出を受け入れ、彼を後ろ盾に再度ストを決行し、遂に資本家たちを屈服させることに成功。しかし、ドイルとの連携は、裏社会とコネクションを持つことも意味していました。

そのことに反発したエイブが別の支部へと去っていってしまったものの、ジョニーはシカゴ・シンジケートを取り仕切るベイブの力を(不本意ながらも)借りながら、F.I.S.T.”の勢力を拡大。遂には、組合のトップにまで登り詰めるのです。

『ロッキー』『フィスト』、それらに続く主演作『パラダイス・アレイ』1978年/監督・脚本も兼任)。1976年~1978年というわずか2年の間に公開されたこれら3つの作品は、いずれも「社会の底辺からのし上がっていく男の物語」であり、私は勝手にスライ成り上がり三部作と呼んでいます。

究極のアメリカン・ドリームを『ロッキー』で描き、そして自身の実人生においてもそれを体現したスライですが、名声と富を得てもなお成り上がりの物語にこだわり続けていたという事実は、非常に興味深いです。彼は『フィスト』のストーリーのどこに惹かれたのかを、次のように説明しています。

 

FIST”に描かれたものはアメリカそのものだ。かねてから俺が狙っていたテーマそのものだったんだ。(当時の日本版パンフレットより)

 

名もなき大勢の役者の中に埋没していた下積み時代を経て、『ロッキー』でその混沌から抜け出た自身のサクセス・ストーリーと、ジミー・ホッファの人生を下敷きにした『フィスト』の物語が共鳴したのは、想像に難くありません。

ただ、ホッファをモデルにした物語ということは、それは必然的に破滅に着地することも意味します。『フィスト』においてジョニー・コバックは、裏社会との密な関係をマディソンという上院議員に嗅ぎ付けられ、窮地に立たされた末、ベイブが差し向けたであろう刺客によって絶命。巨大な権力を手中に収めたまま、その一生を終えます。

絶大な力を手にしながら、それをコントロール仕切れず、そのうねりの中に飲み込まれてしまうという結末は、成り上がり三部作の中で異質であり、『ロッキー』や『パラダイス・アレイ』のようなカタルシスは得られません。

その点が本作の興行的不振の原因でもあったと思いますが、しかし、『フィスト』は成り上がりの物語であると同時に、権力と名声の中で破滅していく男の話でもあったからこそ、スライにとって大きな意味があり、彼を惹き付けたのではないかと勝手に考えています。

というのも、『ロッキー』での躍進後、スライの周りにはその成功を妬む者、金目当てに近づいて来るハイエナ、私生活を覗き見ようとするマスコミなどが跋扈するようになり、彼の心は不信感に蝕まれていたようです。それもあってか、当時妻サーシャ・長男セイジと新居に移り住んだばかりだったにもかかわらず、程なくして堀と監視カメラ、ガードマンによって守られた別の家に引っ越してしまいます。

実際のところ、スライがどんな心情であったのかは知る由もなく、想像でしかありませんが、自分ではどうにも制御しようのない状況の中で転落し、破滅していくのではないかという恐怖心が多かれ少なかれ彼の中にあった。それがスライを苦しめていた。そんな彼の暗部が『フィスト』のジョニーと重なり合い、この重厚なるドラマが完成したのだと思っています。

【追記】

本記事をアップした後、スタローン関連の文献にあたっていたところ、『フィスト』には3種類の結末が用意されていたという記述を目にしました。そこには、このように書かれています。

シナリオではジョニー・コバックは撃たれて死ぬというものであり、ジュイソンの考えた結末はジョニーが誘拐されて終わるというものだった。だがシルベスターは「ロッキー」のように勝利で終わらせようと考えた。(『シルベスター・スタローン アメリカン・ドリームの復活』より)

 

この事実は、先述した「スライは破滅の物語に惹かれたのではないか」という推察と矛盾するようにも思えます。とどのつまり、彼は純粋なサクセス・ストーリーを求めていたのかもしれません。

 

本記事は2020年11月9日にnoteで公開したものです。