悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

悠田ドラゴのAll-Out ATTACK!!

カテゴリーをご覧になれば、どんなブログかだいたい察しがつくかと思います。

怖いゴジラが見たい

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恐怖! 白目ゴジラに震えた!!

本ブログのタイトルAll-Out ATTACKは、わたしにとってのベスト怪獣映画のひとつである『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年/以下『GMK』)から名前を頂戴しました。

 

同作は平成ガメラ三部作を手がけた金子修介監督による待望の初(そして今のところ唯一の)ゴジラ作品であり、1999年から2004年にかけて公開されたいわゆる“ミレニアム・シリーズ”で最も興行的成功を収めた作品です。


もうとにかく「たまらん」としか言いようのない、古今無双の大怪獣バトル・ムービーなのですが、この映画を最高たらしめている大事な要素のひとつが“白目”でございましょう。『GMK』のゴジラの眼球には、中心に虹彩・瞳孔がありません。シリーズ唯一の白目ゴジラなのです。

 

これは同作の怪獣造形を担当した品田冬樹氏によるアイデアで、ゴジラを徹底的に“怖いもの”として位置づける上で、非常に効果的でした。もちろん、それ以前もゴジラは恐怖の存在として描かれています。そうでない作品もありますが、少なくとも初代『ゴジラ』(1954年)から『モスラ対ゴジラ』(1964年)あたりまでの昭和シリーズ初期、『ゴジラ』(1984年)と『ゴジラVSビオランテ』(1989年)から『ゴジラVSデストロイア』(1995年)までのVSシリーズ、そしてミレニアム・シリーズにおいては、人類の生存を脅かす恐怖の存在/異物として描かれていることは論をまたないでしょう。

しかし、『GMK』以前のゴジラは“感情を有する生き物”という側面が垣間見えることも少なくなく、我々は彼の闘争心、苦しみ、憎しみ、悲しみをスクリーン越しに感じ取ることができました。


翻って、『GMK』のゴジラは、白目であるが故に感情を読み取ることが非常に困難です。その咆哮や身振りから多少なりともエモーションを感じることはできますが、それでも、『GMK』以前のゴジラに対して抱いていたある種のシンパシーのようなものは生じづらいと言わざるを得ません。白目が抱かせる直感的な恐怖がゴジラへの感情移入を阻むことで、「この世のものとは思えない、とんでもないヤツが日常に現れてしまった」という怪獣映画における醍醐味を、より増幅させることに成功しているのです。

 

また『GMK』ゴジラは、その出自の設定についても斬新で、水爆実験の影響で変異した巨大な海洋生物という従来の基本設定に、太平洋戦争で犠牲となった人々の残留思念=怨念が宿っている、という説明を加えています。だから、砲弾を受けても死なないのだと…。

 

これはもはやオカルト的な理屈で、荒唐無稽であることも否めないのですが、本シリーズが怪獣映画の形を借りて空襲の恐怖を描き、日本が蹂躙される痛みを活写した初代『ゴジラ』から始まっていることを踏まえると、非常に腑に落ちるところがあります。

 

戦争という災禍を忘れようとしている日本を、戦死者の亡霊が怪獣となって太平洋から攻めてくる。それがいくらオカルト的であり荒唐無稽な話であっても、戦争の恐怖の化身でもあるゴジラの歴史的文脈においては、妙な説得力を帯びてくるのです。そして、この設定は白目がもたらす直感的な恐怖と相まって、『GMK』ゴジラをかつてないほど恐ろしい存在たらしめました。


徹底してゴジラを“異物”として描いた『シン・ゴジラ

こうして『GMK』によってアップデートされた人類の生存を脅かす恐怖の存在/異物というゴジラ像は、『シン・ゴジラ』(2016年)でさらに深化し、極限に達します。


シン・ゴジラ』の革新的な点のひとつとして、ゴジラの造形にグロテスクさを加味したことは見逃せません。体液をまき散らしながら車や家屋を蹴散らしていく第2形態は言わずもがな、一般的なゴジラのフォルムを持つ第4形態も 、えも言われぬ異様さを漂わせています。赤くただれたような皮膚、どこを見ているのか判然としない空虚な瞳。尻尾は不気味なほど長く、先端がまるで『ザ・グリード』(1998年)に出てくる化け物みたいで、生理的に嫌悪感を感じざるを得ない。

 

こんな異常なゴジラの造形は、かつてありませんでした。慣れ親しんだゴジラと、こいつは明らかに異なっている。似ているようで、何かが決定的に違う。それによって、我々は反射的に恐怖を抱いてしまう。この異物に接する感覚は、総監督・脚本を手がけた庵野秀明氏の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズに登場する使徒や、『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(1999年)の敵怪獣イリスにも通じるところがあります。


そんな『シン・ゴジラ』において最も恐怖を掻き立てられるのは、第4形態が鎌倉に上陸してから東京に侵入し、放射熱線によって首都を焼き尽すまでの第2幕でしょう。このシークエンスで注目したいのが、ゴジラが上陸してからアメリカ空軍の戦闘機によるミサイル攻撃を食らうまでの間、一切熱線を吐かなければ鳴き声も上げていないという点です。

 

それまでのゴジラ映画では、登場とともに雄叫びをあげるのが定番であり、その度に観客も「いよっ!待ってました!」と(心の中で)快哉を叫んでいたことと思います。しかし、鎌倉に上陸した第4形態は、どれだけ自衛隊から大砲やミサイルを浴びせられようと、全くリアクションを起こさず、ひたすら無心に東京めがけて前進するだけです。おそらくそれまでのゴジラ映画であれば、少なくとも自衛隊との攻防で、怒りの咆哮を放ち、熱線の一発でもお見舞いしたことでしょう。


この演出による効果は大きく2つあると思っていて、ひとつは熱線の発動を引っぱることで中盤の首都壊滅シーンにおける(劇中の人物達、観客双方の)絶望感をグッと高めること。もうひとつは、先述した「この世のものならざる、とんでもないヤツが日常に現れてしまった」という恐怖を、これでもかというくらい増幅させることです。生き物であるはずなのに、どれだけ火力を注ぎ込んでも全く動じない。なぜ東京を目指すのか、目的がまるでわからない。絶対的に交信不能な、高層ビルよりもデカい巨大な何かが、まるで人間やその社会など眼中にないかのように、ひたすら迫ってくる。この恐怖たるや…。本当にこの第2幕は、本作の白眉だと思います。


シン・ゴジラ』が空前のヒットとなった背景には、こうした恐怖のゴジラに飢えていた渇望感が、ファンの中に蓄積していたことも少なからず関係していると考えています。(もちろん、老若男女を問わず幅広い客層を巻き込んだことなど、その要因は様々です)。

 

ゴジラ生誕50周年のタイミングで、一旦シリーズに終止符を打った『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)は、昭和期の子ども向け路線から平成期まで、あらゆる時代のゴジラ映画のイメージを総括したような、愉快で痛快なバトル・ムービーでした。そのため、徹底的に人類と対峙する恐ろしいゴジラを期待したファンにとっては、どこか満たされない作品になってしまったのも事実だと思います(僕もその一人です)。

 

それから10年が経ち、ゴジラはまさかのハリウッドで復活を果たしました。それが、ギャレス・エドワーズ監督がメガホンをとった2014年の『GODZILLA ゴジラ』です。初めてアメリカ資本で制作されたゴジラ映画(1998年のローランド・エメリッヒ監督版)では前傾姿勢で恐竜のように街を激走する独特のゴジラ描写が、オリジナルを愛する国内外のファンから大いに叩かれました(僕自身はエメゴジは嫌いになれず、むしろ好きです)。

 

一方、ギャレス版『ゴジラ』は、やはり賛否が分かれたものの、1998年版に比べれば多くのファンを納得させることに成功。興行的にも世界で5億ドル以上を稼ぎ出し、ゴジラが今なお国際的に通用するポップ・アイコンであることを証明したのです。ただ、多くの方が言及している通り、このギャレス版のゴジラは人類の脅威ではなく、平成ガメラに近いポジション──つまり“ガーディアン・オブ・ユニバース”として描かれていました(他ならぬ金子修介監督ご自身も指摘しています)。人類を脅かすのはもっぱら敵怪獣ムートーで、ゴジラはムートーが乱した生態系のバランスを取り戻す自然界の守護神として位置づけられています。


この描き方自体には全くケチをつけるつもりはありません(ゴジラではなく主にムートーが物語の推進力を生み出している点は、かなり問題だとは思いますが…)。ただ、当初の予告では敵怪獣の存在が伏せられていたこともあり、ゴジラが世界の秩序を揺さぶる一大スペクタクルが観られる!と期待せずにはいられませんでした。


ところが、蓋を開けてみると、結局ゴジラ津波を引き起こしてハワイに被害を与えたり、建物をぶっ倒したりと物理的には大暴れしてくれましたが、物語の立ち位置的には“秩序を守る”もしくは“取り戻す”側にいたのです。その点には、正直なところ物足りなさを感じてしまいました。たぶんそう感じたのは、僕だけでないと思います。つまり、『ゴジラ FINAL WARS』で鬱積した恐怖のゴジラへの渇望感は、ギャレス版『ゴジラ』が公開してもなお、満たされないままだったのです。だからこそ、『シン・ゴジラ』が人間社会の秩序をぶち壊す“異物”としてゴジラを徹底的に描ききったことで、多くのファンが熱狂できたのではないでしょうか。


ギャレス版『ゴジラ』が嚆矢となり始まった“モンスターバース”シリーズ(2017年『キング・コング:髑髏島の巨神』、2019年『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』、2021年公開予定『Godzilla vs. Kong』)では、引き続き”ガーディアン・オブ・ユニバース”としてのゴジラが活躍し続けます。それを追うのは無論楽しいし、ハリウッドが本気でゴジラを作り続けているという事実だけでも、興奮せざるを得ません。


しかし、『GMK』や『シン・ゴジラ』の血を受け継ぐ新しい恐怖のゴジラを求める気持ちは、日増しに強くなりばかりです。現在、東宝内でどんな企画が進行しているのか知る由もありませんが、それが白目ゴジラの血を引く恐怖の怪獣王映画であることを祈って、首を長くして待つほかありません。

 

本記事は2020年7月1日にnoteで公開した文章を修正したものです。